小学生並みの日記

肩肘張らずに語ろう

小林さんちのメイドラゴン11話感想

トールぅ、私の代わりにトイレいってきて

 

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ほんとこれですよ。

 

 

 

誰か自分の代わりに、なんでもかんでも全部やってくれないかなー

 

仕事も家事も、掃除も、飯も、お風呂もトイレも、睡眠もさー

 

全部やってくんないかなー

 

生きるのがつらいよー、めんどくさいよー

 

 

 

こんなに科学技術も発達してさぁ、単純労働はロボットが、事務作業はプログラムが大体やってくれるのにさぁ、なんで毎日8時間も10時間も働かなくちゃいけないんだよ。

 

もっと最低限度で働きてぇよ~~~

 

 

 

 

仕事に関して言えばさぁ、どいつもこいつも仕事が雑でさぁ、結局自分が割りをくうんだよ。

 

あとはまかせた!って言ったら、全部ミスなくやってくれる人ばっかりだったらなー。

そんな人数えるほどしかいなくてさー。

 

あー、もうやだやだやだやだ。

 

 

 

 

【急募】なんでも代わりにやってくれる人

なぜ、いちご100%は西野エンドなのか?

いちご100%の続編つくるとかなんとか ですね。

真偽は分かりませんが、いい機会です。

ぼんやりした記憶にもとづいて、いちご100%を語ってみたいと思います。

 

 

 

どうして、西野エンドなのか?

 ネタバレですが、真中は最終的に、西野とくっつきます。

 

当時、誰もが、西野エンドに違和感を感じたと思います。

 

 

この漫画において、ヒロインの王道をいってるのは間違いなく、東城綾のほうです。

 

 

 

・「空からふってきた、いちごパンツの女の子」は東城綾です。

 

東城綾は 「メガネをかけた、アカ抜けない文芸部キャラ」 から 「実はメガネを外すと超カワイイ子」に変貌を遂げます。

メガネの時点では誰も見向きもしなかったのに、真中だけは魅力に気づいていました。

 

・趣味もあっていて、相性がいいです。

東城が脚本書いて、真中が映画撮るという、パートナーとして分かりやすい未来図もがっつり匂わせます。

 

・文化祭の占いで、運命の人と出てるのも東城綾です。 

 

 

話の中に散りばめられてるフラグを見ていったら、どうみたって

「ああ、最終的に真中は東城とくっつくんだろうな」って思います。

 

 

でも最後になって、真中は西野とくっついちゃうんです。

これだけ漫画の中に、運命の人、運命の人、運命の人 とフラグを散りばめておいて、なぜなんでしょうか。

 

 

恋愛の不条理

作者は、物語の終わり方について、最終巻のあとがきにこう書いています。

 

「恋愛の不条理 を描きたかった。」

 

あぁ、なるほど。

恋愛というものは、理想どおりに上手くいかないものだと。

運命の人であろうと、恋愛というのはすんなりと成就しないのだということです。

 

 

では、恋愛の不条理を描いて、作者は何を言いたかったんでしょうか。

自分の解釈では、こういうことだと思います。

 

 

「恋愛を成就させるためには、勇気と行動が必要だ!」

恋愛については、「果報は寝て待て」は通用しないということです。

 

 

物語の中で、東城は、真中に思いを伝える行動をなかなかとることができませんでした。

 

東城が真中に対して、自分の思いを伝えた場面は2つでした。(と思う。)

(A)映画の撮影のシーンの中で、劇中のセリフとして言うところ。

(B)西野の告白に遅れる形で、真中に告白するところ。

 

(A)は真中をドキドキさせたものの、決定打になりませんでした。

(あくまで映画のセリフなんですから、真中にはあれが東城の本当の気持ちかどうかなんて判断できません。)

(B)は西野に遅れたのが致命的です。

 

 

ここから引き出せる「作者のメッセージ」は2つです。

・「思いは、正直に言葉にしなきゃ、伝わらないぞ!」 ということ。(勇気を出して行動しろ!)

・「恋愛はイス取りゲームであって、早い者勝ちだぞ!」ということです。(勇気をだして行動しろ!)

 

 

なんか、身もフタもないメッセージですね。

本当に、たったこれだけの理由で東城綾は振られたんだと思います。

これが現実・・・。

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東城に比べれば、西野は行動力があっただけなんだと思います。

 

 

 

 

この「懸垂告白返し」なんて、運命要素がまったくないです。

ただ、「正直に行動して思いを伝えた」ってことだけで、西野は勝ったんです。

 

 

 

 

ただ、このメッセージ、本当に身もフタもないんですよね。

実用的すぎて夢がない。少年誌でやるメッセージなのか? という疑問符は残ると思います。

19巻もイチャイチャやって、結論これかぁ・・・みたいな。

 

 

ポジティブに考えれば、主な読者である中高生に対する、実用的な恋愛アドバイスなんですけどね。

 

 

落ち目の奴の逆をいく

学習には、 大きく分けて2つの方法があります。

ひとつは上手い人についていくという方法。

もうひとつは、下手な人の逆を行くという方法です。

 

ここではとりあえず、上手い人についていくのを雛鳥戦法。

下手な人の逆をいくのを哲也戦法とよんでおきましょう。

 

 

(哲也というのは、麻雀放浪記を原作とした漫画、哲也のこと。

4巻ぐらいだったと思いますが、絶対に放銃しない能力を持つ不死身のリサというのがいまして。

 

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はじめは捨てる牌をリサに聞いて選んでいたのですが、そのうちリサの能力が発揮できなくなる。その際哲也は、リサが選んだ牌とは逆の牌を選ぶことで窮地を逃れるというシーンがあるんです。「落ち目の奴の逆をいく!」って。

 

反面教師戦法とよんでもいいんですが、この話気に入っているので、このままいきましょう。)

 

でも、この話気に入っているので、このままいきましょう。)

 

 

上手い人についていく という方法は言わずもがなですが。

下手な人の逆を行くという方法も、場合によってはかなり有効です。

 

 

答えが一つに定まっている場合、雛鳥戦法は超有効です。

例えば、問題集を解くというのは、解答例を先生として、それについていくことにあたります。

 

 

答えが一つに定まらない場合。人によって答えがバラバラになる場合。逆に、哲也戦法が有効です。

 

この方法では、無数の失敗例を有効活用できます。

 

例えば起業。スティーブ・ジョブズを先生として雛鳥戦法をとっても、たぶん上手くいきません。あれは才能が寄与した部分が大きすぎるからです。

それよりも無数の失敗者達の失敗例をかき集めて、この方法は避けよう、あの方法は避けよう、というふうに消去法をとっていったほうが、おのずと良い道が残る気がします。

 

ベストな回答は出せないけれども、その場でのベターな回答をだそうとする時、かなり有効だと思います。

 

 

という、自分用のメモ。

サルが食いかけでエサを捨てる理由

 

サルが食いかけでエサを捨てる理由 (ちくまプリマー新書)

サルが食いかけでエサを捨てる理由 (ちくまプリマー新書)

 

 

印象に残ったところまとめ。

 

・レーシングカーと乗用車

例えるなら、ネコはレーシングカー、イヌは乗用車だという。

 

ネコは単独で狩りをするタイプである。

脊髄を切断するのに特化した牙の形と間隔。獲物を押さえ込むための鋭い鉤爪。鉤爪を収納できる鞘のような仕組みをもっている。狩りの際、瞬発力を重視した構造。

 

イヌは集団で狩りをするタイプである。長距離をゆっくり走るのに適した足。集団で生活するために発達した脳をもち、社会性を発揮できる。

 

例えるなら、ネコはレーシングカー。目的に対して究極の肉体構造を持ったタイプ。

イヌは乗用車。荷物も運べる、人も運べる、旅行もできて、レースもできないことはない(負けるけど)。汎用性が高い構造である。

 

また、昆虫で例えたら、カマキリとアリだとか。

 

 

 

・人間は、なぜ体毛が薄いか

「渚原人説」というのが興味深い。

 

人間の祖先は水辺に棲んでいたサルで、敵に狙われたときに水に逃げ込み、息を吸うために頭だけ出してやり過ごしていたというもの。こう考えると、様々な人間の特徴が説明できる。

まず、海水の浮力に助けられ、直立姿勢をとりやすくなる。そのまま砂浜に戻ってくれば直立歩行の出来上がり。直立姿勢をとることになって、脳が大きくなっても支えられる背骨が発達した。両手が自由になり、いろんないたずらができるようになった。

水の中で直立した場合は、子供におっぱいをあげていたメスは、子供に息をさせるために、高い位置に持ち上げなければいけない。すると胸以下のおっぱいは無駄になり、いちばん上のおっぱいだけが残った。

水に入ると毛は邪魔になり、呼吸をするために水面から出していた頭だけを残して、ほかはつるつるになった。毛は虫がついたりするため、水辺で暮らすなら、ないほうがいい。

 

そして、根拠として、人間は陸上で暮らす他の生物に比べ、非常に塩分に強いという性質がある。これは水辺にすむ生物ゆえではないのか。

また、道具を発明していない段階の人間が、鳥や、木の上の獲物、走り回る生き物を獲るのは無理だったんじゃないかと考える。すると、人間が素手で獲れるノロマないきものは、カニとか貝で、これをたんぱく源としてとっていたという。

 

 

 

・かわいさの法則

哺乳類に、かわいさの法則というものがある。

たとえば、二頭身や三頭身でまあるい頭。丸くて大きな、離れた目。武器としての、牙や爪が未発達。運動能力の低さを示す、たどたどしい動き方。

つまり、「自分は無力ですよ」ということをしめす。

 

こういうものを、哺乳類は「かわいい」と感じるようにできていて、親は子供を守るし、子供は親に守らせ、育てさせるという戦略をとっているという。

 

逆に、そういう法則が必要ない生物もいる。生まれてすぐに親から独立する、親が育てる必要のない生き物。例えば爬虫類、魚類、昆虫など。生まれたらあとはほったらかしなので、親が「かわいいな」と思う必要がないため、そのように生まれてくるのだそうだ。

 

そして、親が「かわいいな」と思いながら育てられる生き物は、高等な社会生活を営んでいる種族である。つまり、子供時代に、本能以外でいきていかなければいけない、その動物の世の中のしくみを、親から学ばなければいけないからだという。高等な社会で生きるためのトレーニング期間として、子ども時代があるということ。

 

 

 

・家畜になることで、種が存続できる。

人間の価値観から見れば、食べられるだけの牛や豚は、お気の毒というほかない。

しかしこれを、牛や豚は人間が守っているから、今も絶滅を免れているというふうに考える。つまり、牛や豚は人間に家畜化されることによって、「種全体の存続」を保証されているわけである。人間を利用しているともいえる。

 

例えば、インドネシアのスラベシ島に、バビルサという豚の祖先に近いイノシシの一種がいるが、これは絶滅しかかっている。なぜ絶滅しかかっているかといったら、豚にならなかったのがいけなかったのだ。牙を突き出して、人間になつかなかったために、絶滅の道をたどっているのだ。

 

絶滅のリスクを背負ってまで、野生にとどまり人間と拮抗するか、個体は人間にくわれても種全体を絶滅から守ってもらうか。要は種全体として存続すれば、その動物種は成功なのだという。

 

ここには個人主義といった考えはなくて、種全体で存続するという考え方が貫かれている。すごい考え方だと思う。

 

お金がないなら、アドレス110を買おう。

自分の移動手段はバイクです。

四輪の自動車は、車自体も、維持費も高すぎます。

公共交通機関も大して発達してないところに住んでいるので、自家用車がないのもきついです。

 

だから、バイクです。

 

 

 

以前は、250ccのバイクに乗っていたのですが、乗りつぶしました。それを期にアドレス110に乗り換え、1年たちました。

 

もう、かなり買ってよかったと思ってます。

 

http://www3.suzuki.co.jp/suzukinirin/smadmin/upload/productdetailimg/1438/pc.jpg

 

 

www1.suzuki.co.jp

 

 

 

 

個人的に良かったと実感したところをまとめました。

 

 

 

原付二種のメリット

まず、アドレス110が属する原付二種の一般的メリットから紹介。

 

・任意保険に、ファミリーバイク特約が使える。

 ファミリーバイク特約とは、「家族・もしくはバイクを乗る本人」が自動車保険に加入している場合のみ、加入する事が出来る125cc以下バイク限定の安い保険のこと。これを使わない手はありません。普通の任意保険は高いです。事故を起こさない優良ドライバーほど、保険では損してしまうので、基本の料金を抑えることは戦略上重要でしょう。

 

 

・燃費が良い

 軽く45km/Lぐらいは走ります。250cc乗ってた時はだいたい30km/Lだったのを考えると雲泥の差でした。四輪自動車を比べると、さらに差がつきます。

 オイルにかかるお金もぐっと下がります。自分の場合アドレス110にしてからは、オイル代は250ccの時の半額でした。

 

 

・公道を走るなら、十分な速度

 50cc以下の原付も維持費が安いですが、法律上30km/hしか出せないことになってます。また、原付が60km/hを出すのは、結構車体に無理をかけている状態です。警察にビクビクしながら速度を出すのも嫌ですし、道路の左側を走って、60km/hで横を通り過ぎる車にビクビクするのも嫌です。

 原付二種はしっかり60km/h以上を出せるように設計してありますし、道路の流れにのることができます。小さい割りに、無理なく道路を走る十分な性能を備えているといえるでしょう。

 

 

・すり抜けが楽

 車体が小さいため、車の間をすり抜けやすいです。このためにバイクに乗っているといっても過言ではないと思います。取り回しも良いため、低速でギリギリのところを抜けることもよくあります。250ccだと、ミラーがひっかかりそうで通れない、ということがよくありました。取り回しが悪いのもつらかったです。

 

 

・駐車が楽

 街中の小さい駐車場で恩恵を受けられます。エンジンをかけてはいけないところでも、押して歩くのが苦じゃありません。

 

 

アドレス110の良いところ

次に、原付二種の中でも特に、アドレス110の優れたところ。

 

・尋常じゃなく、安い。

 税込み20万5千円。これ、めちゃめちゃ安いです。新品でこれです。125ccだと、だいたいは25万以上します。そして、性能も悪くない。

 

 

・14インチホイール

 125ccのスクータータイプのバイクは、10インチホイールが多いです。アドレス110は、車体が小さいわりに大きなタイヤを採用してるため安定感があり、地面の凹凸で感じるストレスが小さく、道路から敷地に乗り上げるのも楽です。

 

 

・車体の軽さと、燃費。

 車重97kg。めっちゃ軽いです。

 軽いので取り回しも良く、当然、車体が軽いほど燃費が良くなります。

 

 

・スクータータイプ

 収納が多い。さらにボックスをつければ、荷物にはほとんど困りません。

 雨の日もいける。足置き場の前に壁があるので、足元は濡れにくいです。

 チェーンが外に出てないのも良いでしょう。

 

 

・サイドスタンド標準装備

 駐車の際にはセンタースタンドよりもサイドスタンドのほうが強風に強く、倒れにくいです。傾斜があるところに駐める時にも良いかと。

 

 

 

 

おまけ

 

ハンドルカバーって、250cc時代は食わず嫌いで使ってなかったんですが、使ってみたら最高でした。もうダサさとか気にしません。

 

・防風と防寒。

 しっかり防風してくれます。防寒として、中に毛糸の手袋をつけて使ってます。手とハンドルとの間には薄い毛糸しかないので、操作も思いどおりです。

 真冬だと、それでも寒いですが。

 

 

・防水

 これ、ポイント高いです。雨の日の手元に関しては、ハンドルカバーが一つの最適解ではないかと思っています。ハンドルカバーはウェットスーツのような生地なので、中に水は通しません。

 防水とうたった手袋はありますが、100%水を通さない、乾かさなくてもいいというものはあるんでしょうか?たぶん、ないと思います。

 これを使う前までは、手袋をいちいち乾かしていたので、そこから解放されたのは最高でした。

 

ここから、この社会から逃げろ

胸が痛い。たぶん疲労とストレスだ。

 

こないだは胃に異常がでた。

 

 

 

最近考えている。

これは、自分の頑張りが足りないとかじゃない。

世界がおかしい。環境がおかしい。

 

 

自分が今いる職場の状況は、最悪だ。

 

人手が圧倒的に足りない。

管理職は人員を引っ張ってこれない。

1年も人手不足の状況を放置している。無能なのか?お前の仕事はなんだ?

上は現場をまったく見ていない。まったく人手をよこすつもりがないらしい。

 

バイトは割に合わない職場に愛想をつかし、次々とやめる。

 

客は相変わらず「お客様」で、ギャーギャーと自分勝手なことをほざいている。

 

職場には使えないやつが数名。貴重な枠を圧迫した上、自分はそいつらの尻拭いをさせられる。

 

自分を含め、現場は疲弊しすぎている。職場の病休が多すぎる。

 

 

 

 

この本のことが脳裏をよぎる。

20代で隠居: 週休5日の快適生活

20代で隠居: 週休5日の快適生活

 

扁理大原さんは、糞忙しい本屋でアルバイトをしていたらしい。

圧倒的な人手不足の中働いて、ある日、社員の呪詛のような殴り書きのメモ(自分宛て)に戦慄し、

 

私は、ここにいてはいけない

人をここまでおかしくしてしまう社会から逃げなくては

 

と思い、ついには隠居にいたったそうだ。

 

 

 

今の自分は、まったく同じことを思っている。

ここから逃げないといけない。

 

こんな無理なシステムを、個人の頑張りで維持しようなんて馬鹿げている。

はじめから全ておかしいのだ。

 

一度、こんな職場は崩壊してしまえばいい。

上のやつらは、崩壊しないと分からないんだろう。バカにはいい薬だ。

 

 

みんな頑張っているんだとか、上も予算が限られていて板挟みになっているとか、そんなことは分かっている。100%悪者論を語る気などはない。そんなことは分かっている。

ただ、それは問題を放置していい理由にはならない。

 

 

問題を全て、下とか現場に押し付けて、上では「問題は解決しました!」なんて報告するケースは、今の社会に広くはびこっている。

 

いい加減にしろよ。

小林さんちのメイドラゴン第7話感想

 

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カンナちゃんの足、すごいっすね・・・。

 

 

 

 

おじゃる丸だよなぁ・・・。

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海の回で、トールが考えるシーンがあるんですけど、

 

トール「人間としては普通の小林さんが、ドラゴンを受け入れられる。」

トール「この世界の人間は誰でも、ドラゴンを受け入れられるということ?」

 

これ、すごい引っかかるんですよ。

 

「小林さんだからこそ、私を受け入れられた!小林さんステキ!出会いに感謝!」

っていうなら、よくあるアニメなんですけど。

逆に、別に小林さんじゃなくてもよかった、って言ってるんですから。

 

なんでこんなセリフいれたのかなーって考えてみます。

トールを家に引き入れる小林さんは、懐が深すぎるとは常識的には思います。でも、ここではあえてそう考えずに、トールの言葉に乗っかって、こっちの世界の人間は誰でもドラゴンを受け入れられると考えてみます。つまり、小林さんは特殊な人間ではないと考えます。ドラゴンを受け入れることに必要なのは個人の特殊な資質というわけではないと考えます。

 

こっちの世界なら誰でもドラゴンを受け入れられるとしたら、両者の世界の違いはなんでしょう?こっちの世界にあって、あっちの世界にないものとは、なんでしょう?

 

 

それはルールだと思います。

 

 

今回の話、しれっと「リヴァイアサン」なんてワードが出て来るんですが、

これ、ホッブズの社会契約論「リヴァイアサン」のことを意識しているように感じるんですよ。

 

 

リヴァイアサンについてざっくりと言えば、

人間たちが各々自己の利益を追求した場合、その結果起こるのは、万人の万人に対する闘争状態です。この殺伐とした状態では、誰も安心した生活を送ることができません。

しかし、人間には理性があるので、平和のためのルール(自然法)をつくり、それに従うことができます。その考えにもとづいてできたのが国家だ、という話です。

 

 

トールたちのいた世界は、これまでの話から、弱肉強食、力あるものが全てを制する、殺伐とした世界です。ルール無用のバーリトゥードな世界なんでしょう。

これはホッブズが言うところの、万人の万人に対する闘争状態、を地で行く世界です。

この世界では安心した生活を送ることは難しいでしょう。

 

 

それに対して、人間の世界は、トールが窮屈と感じているように、細かいルールがいっぱいあります。しかし、このルールによって争いを最小限に抑えることができます。

みんながルールを守ってちょっとずつ我慢することによって、みんなで幸せになろうという考えのもとにできたのがルールなんです。

このルールがホッブズの言うところの自然法です。

 

 

 

小林さんちのメイドラゴンの話に戻します。

 

なぜ、トールは人間社会に受け入れられているか。

それは、ドラゴンといえども、人間社会でルールを守っているから。

これが、自分の考えです。

 

 

ルールがなぜそんなにも重要なのか、ということを語る上で、今回のコミケという舞台は適切です。

 

 

コミケの参加者たちは、ルールを守ります。

走らず、きれいに列をつくり、統率のとれた行動をとり、トールを驚かせてもいます。

あれだけの人口密度で個人個人が好き勝手に行動したら、衝突と渋滞が起こるでしょう。

 

みんながちょっとずつ我慢してルールを守ることで、みんなが幸せを享受できる。

そういう主張なんだと、自分は考えています。

 

 

(最近、小林さんがルール守れ!って言うネタが多すぎて、食傷気味なんですよね。こういう意味で繰り返してんじゃないかな、と思ったわけなんです。)

 

今を生きろ!

 

なぜ、コミケの参加者はルールを守るのか。

欲望を抑えつけて彼らをそこまでの行動に駆り立てるものとは何か。

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 カメコのお兄さんが良いこと言いますね。

「今、この瞬間、この場所にしかないものためです。」と

 

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海の回の、小林さんの言葉の繰り返しですよね。

トールのいた世界とは、世界が違う。分かり合うことの難しい。

でも、だからこそ、今一緒にいることを大事にしたいって、思えるのかも。」

 

 

この話を見ると、EDの歌詞にも深みが出てきていいですね。

 

 

過去も、未来も、どうだっていい

ここにいることが大好き

 

 

小林さんちのメイドラゴンは、出て来るドラゴンは訳ありな奴らばっかりです。過去にいろいろあったかもしんないけど、今の幸せを感じて、全力で生きろ!ってメッセージが良いなって思いますね。

 

 

 

話が脱線しますけど、個人的にこのメッセージでは、銀と金88話を思い出します。

 

銀と金 文庫全8巻 完結セット (双葉文庫―名作シリーズ)

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 金持ちのカムイ家の兄弟は、「頭のでき」によって差別され、長男~三男は優遇、四男~五男はぞんざいな扱いを受けます。そのために、親と長男~三男に復讐し、最終的に命を落とすという話です。

 

主人公森田の「過去は過去だ、先を見ろ」という言葉は、すごく合理的で、メイドラゴンの話にも通じます。しかし金と銀では、その言葉を受けても過去に固執しないではいられなかった五男の姿に悲しさがあるのですが・・・。

 

 

 

話をメイドラゴンに戻して。

 

 

そして、この幸せな今、を支えているのがルールというもので。

今のところそのルールを、窮屈なネガティブなものとしか、トールがとらえてないという構造が面白いと思うんです。

 

 

こう見るとメイドラゴンは、ある種のトールの成長物語なんでしょう。