小学生並みの日記

肩肘張らずに語ろう

【げんしけんの感想1】オタクは面倒くさい。

 

数年ぶりに、げんしけんを読み返してます。

 

げんしけん(1) (アフタヌーンコミックス)

げんしけん(1) (アフタヌーンコミックス)

 

 

ちなみに二代目(10巻~)は途中までしか読んだことないです。

 

当時、個人的には「蛇足だなぁ・・・」としか思わなかったんですよね。新キャラだして、斑目ハーレムにして、何が言いてえんだこれ・・・?って。

人気のある斑目くんをもう一回紙面に持ってきたかっただけじゃないのこれ?

とか思ったりなんだり。

 

 

 

気を取り直して、本題。

今、1~3巻。

 

げんしけん1巻の発売年は 2002年。自分の記憶に残ってる電車男が2年後の2004年。世間では、「オタクって何?コミケって何?」みたいな時期だったんだと思います。

 

自分が読んだのも、中学生ぐらいの時で、はぁ、こんな世界があるのかと。

内容まではあまりピンときてなかったと思います。

 

その時期にあって、「げんしけん」という漫画は、現代社会の迫害民族オタクの文化人類学的フィールドワークと捉えることができます。

(現代といっても、2017年現在は、迫害感は減衰してきてる感じがします。以前は漫画は有害みたいな主張が多かったですが、漫画は日本の文化、クールジャパンとかいって手のひらクルー してるところもありますし。)

 

重度オタクの高坂真琴を彼氏にしてしまったばっかりに、結果的にフィールドワークしちゃってるのが、1巻表紙の 春日部咲 なんですよね。

オタク族ってやつらがいて、そいつらの生態・生活・文化 は実はこんな感じなんですよと。

 

オラオラ系の奴らが通ると、オタクは静かになるとか、こんなあるある描写が面白い。

 

  

げんしけん」はオタクを題材として選び、かなりライトで、楽しく読めるものになってると思います。

しかしながら、作者の木尾士目さんは、もともと4年生とか描いてる人。

人間関係の問題あれこれを主に描く人なんですよね。

げんしけん」はライトな層も惹きつけつつ、ちょっとめんどうな人間関係というところも印象的にうまく描けている。そんな作品だと思うんです。

四年生 (アフタヌーンコミックス)

四年生 (アフタヌーンコミックス)

 

 

 

 

主人公笹原、自分のオタクさを受け入れる

1巻はほとんど笹原が、自分のオタクさを受け入れる話です。

 

オタクに”なる”って、結構葛藤があるんです。

自分のオタクさを、アイデンティティとしてとりこむ、って大変なんです。

オタクだって人間です。自分が恥ずかしい趣味を持ってる自覚はあるんです。

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 どうあがいても、客観的に見たら、キモい。

 

 

でも、「自分はキモいあいつらとは同類じゃない・・・」という根拠のないプライドが必ず出てきてしまう。

自分は例外みたいなふうに思ってしまう。

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非オタでもなく、かといってどっぷりオタクになっているわけでもない。

中途半端な位置にいた笹原は、高坂の部屋に行ってあることを自覚します。

「俺に足りないのは覚悟だ」

 

非オタとオタクの境目、地割れのような境界を越える。

非オタの殻を破らなければならない。

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覚悟のあとは行動です。

 

突き抜けるんだ! 笹原! って感じ。

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この独り言がいいですよね。

オタクらしい行動をとる自分を、冷静に眺めている自分がいるんです。

「俺は同類じゃないとか思ってるオタク」という過去の自分見ては、「おいおいそんなんじゃダメだろ!」と独り言を言う。

確実にオタク側の方へ重心がうつってきてますね。やったぜ!笹原!

 

 

そして、1巻まるまる使って、笹原は自分のオタクを受け入れることができます。

こういうの、なんていうんでしょうね。小さいことのようにも見えるんですけど、

でも、結構、大変なことなんですよ。これ。

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ついにはモジモジせず、迷いのない欲望を言葉にできる男に。

「(オタクとして)立派になったなぁ・・・笹原」

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自分専用のPCを買った後のシーン。

割りと好きなシーンです。

当時は今よりPCも高かったでしょうね。一国一城の主になった、みたいな感覚、満足感。わかるなぁ。

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オタクは面倒くさい。

自分の抱えている趣味がおおっぴらにできないからでしょうか、友達がつくりにくいんですよ。オタクは。

 

恥ずかしいから、自分の趣味は隠したい。

だけど、寂しいから仲間はほしい。

 

この2つの気持ちの両立に悩むのがオタクなんですね。

 

 

オタク、大野加奈子の部屋に入るシーン。

 

態度では「(オタ部屋も趣味も)絶対見せませんからね!」と言っておいて、

でも、言葉とは裏腹に、そんな恥ずかしい自分を受け入れてほしい。

 

この気持ちを、「扉をしめてるけど、鍵はわざと開けてある。」

という表現に落とし込む。

これ、すごいと思います。

 

 

・オタと非オタは価値観が違う

 

プラモ作成に勤しむオタクチームと、そこに居合わせる非オタ、咲ちゃん。

 

プラモのうんちくとか、愛着とか、オタクがいくら語っても、非オタにとってはうざいだけなんですよね。

価値観が違うから、伝わるものじゃないんですよね。

非オタにとっては、そんなものどうでもいいんだもの。

 

オタクはオタクで、相手が興味がないのに気付かず、語り続けてしまう。

視野狭窄に陥りがちなのも、オタクなのかもしれません。

 

咲ちゃんがプラモを壊してしまうシーン。

大野さんが一週間かけてつくったプラモです。

 

オタクの語りだけじゃ分からないけれども、

大野の涙と、斑目のこの言葉で、初めてその価値観が分かる。

 

咲ちゃんが、オタクをすこし理解する

これ、屈指の名シーンだと思うんですけど、どうでしょう。

 

 

オタクと仲良くなるには?

オタク高坂を咲から奪うため、自分もオタクになれば、高坂にふさわしい女になれる。

笹原妹はこう考えて、オタクになろうとします。

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が、無理です。

笹原妹はコミケに敗北します。

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だって、人種が違うんですもん。

同じ色に染まろうとしても、染まれないものは染まれない。

 

では、どうすればいいか。

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 そもそも、オタクになることは、仲良くなるための必要条件ではないんですね。

 

無理に同じ色に染まろうとするよりも、「こいつらは自分とは違う人種だ」 というところから出発するほうが建設的な方法ですし、仲良くなれる。

 

オタ、非オタに限らず、人間関係を考える時にはかなり有効ですよね、これ。

 深爪式にもこんな話があったような、なかったような・・・。

 

 

 

1~3巻で気になったのは、こんなところ。でした。

【はぐちさん_ルーツビア】僕達はすでに十分頑張っている【感想】

 「はぐちさん」はすごくいい漫画だと思います。

 

はぐちさん (フィールコミックス)

はぐちさん (フィールコミックス)

 

 

何が良いっていったら、大きくは2つ。

 

 

ひとつは、異世界の生き物と一緒に暮らすと、いつもの退屈な日常が違って見えるよということ。

 

異世界の生き物は、現代社会の我々と違った価値観を持ち込んでくれます。

 

均質な意見、価値観に覆われた社会というのは、非常に息苦しいものです。

 

例えば、仕事に生きる人がいてもいいけれども、そんな価値観ばっかりでは息苦しい。

 

趣味こそ大事だとか、友達と遊ぶことこそ重要だとか、ゴロゴロして何もしたくないとか、多様な価値観があって、その中から自分の好きな価値観を選べたほうが、人間はのびのび生きられる気がします。

 

 

そんな均質な価値観を相対化するのに、異世界の生き物(異文化の人々)は一役買ってくれます。

 

 

例えば、ネコと暮らすというのも、一つの手です。

phaさんがブログで「ネコを飼ったり、子供と暮らしたりすると家での人間関係がうまくいく」って言ってた気がするんですけど、こういう理由でなんだと、自分は思ってます。

 

 

それから、「よつばと!」もこの構造でできてると思います。

よつばちゃんの発想は、我々の価値観の斜め上をいき、違った価値観を持ち込んでくれます。

 

例えば、自分達にとって、雨は嫌な天気ですし、セミはうるさいだけです。

 

しかし、よつばちゃんにとっては、雨は「すっげー!」ですし、ツクツクボウシは「夏を終わらせる妖精」です。

 

違った世界の見方が提示されて、ちょっとだけ、雨もセミも悪くないかもな、なんて思えてきます。

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 (ところであずませんせい。14巻まだですか?)

 

 

 

 

良いところのもうひとつは、「僕達はすでに十分頑張っている」というメッセージです。

 

唐突なようですが、現代社会は明らかに、我々に大きな負担を強いています。

仕事も、キャリアを積み重ねることも、勉強も、育児も、親の介護も、身の回りの家事も何もかも、24時間内でやれと。

社会は我々に、「お前たちはまだ頑張れる。もっと頑張れ。」というメッセージを発信し続けます。

 

 

それに対して、「はぐちさん」は、「そんなことはない。君たちはすでに十分頑張っていますよ。」と言ってくれている気がします。

我々の大多数は、大した社会的地位もないし、大きな仕事でもないけれども、毎日ヘトヘトになるまで頑張っています。

十分、社会を支えるために体を張って頑張っているんです。

 

表紙の「えらいよ」って言葉が、そんなヘトヘトの僕達を祝福してくれます。

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えらいんです、僕達は。

 

僕達は、「すでに僕達は十分頑張っている」と胸を張っていいんじゃないかと、思うんです。

 

 

 

 

ルーツビアにも、僕は同じことを感じます。

 

comic-earthstar.jp

 

ルーツビアの主人公は仕事でヘトヘトのOL達です。

 

そんな疲れ果てたOL達を、居酒屋のうまいビールと料理が、

 

「今日もおつかれさん。頑張ったね。」

 

と祝福してくれる。そういう漫画だと思うんです。 

小林さんちのメイドラゴン11話感想

トールぅ、私の代わりにトイレいってきて

 

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ほんとこれですよ。

 

 

 

誰か自分の代わりに、なんでもかんでも全部やってくれないかなー

 

仕事も家事も、掃除も、飯も、お風呂もトイレも、睡眠もさー

 

全部やってくんないかなー

 

生きるのがつらいよー、めんどくさいよー

 

 

 

こんなに科学技術も発達してさぁ、単純労働はロボットが、事務作業はプログラムが大体やってくれるのにさぁ、なんで毎日8時間も10時間も働かなくちゃいけないんだよ。

 

もっと最低限度で働きてぇよ~~~

 

 

 

 

仕事に関して言えばさぁ、どいつもこいつも仕事が雑でさぁ、結局自分が割りをくうんだよ。

 

あとはまかせた!って言ったら、全部ミスなくやってくれる人ばっかりだったらなー。

そんな人数えるほどしかいなくてさー。

 

あー、もうやだやだやだやだ。

 

 

 

 

【急募】なんでも代わりにやってくれる人

なぜ、いちご100%は西野エンドなのか?

いちご100%の続編つくるとかなんとか ですね。

真偽は分かりませんが、いい機会です。

ぼんやりした記憶にもとづいて、いちご100%を語ってみたいと思います。

 

 

 

どうして、西野エンドなのか?

 ネタバレですが、真中は最終的に、西野とくっつきます。

 

当時、誰もが、西野エンドに違和感を感じたと思います。

 

 

この漫画において、ヒロインの王道をいってるのは間違いなく、東城綾のほうです。

 

 

 

・「空からふってきた、いちごパンツの女の子」は東城綾です。

 

東城綾は 「メガネをかけた、アカ抜けない文芸部キャラ」 から 「実はメガネを外すと超カワイイ子」に変貌を遂げます。

メガネの時点では誰も見向きもしなかったのに、真中だけは魅力に気づいていました。

 

・趣味もあっていて、相性がいいです。

東城が脚本書いて、真中が映画撮るという、パートナーとして分かりやすい未来図もがっつり匂わせます。

 

・文化祭の占いで、運命の人と出てるのも東城綾です。 

 

 

話の中に散りばめられてるフラグを見ていったら、どうみたって

「ああ、最終的に真中は東城とくっつくんだろうな」って思います。

 

 

でも最後になって、真中は西野とくっついちゃうんです。

これだけ漫画の中に、運命の人、運命の人、運命の人 とフラグを散りばめておいて、なぜなんでしょうか。

 

 

恋愛の不条理

作者は、物語の終わり方について、最終巻のあとがきにこう書いています。

 

「恋愛の不条理 を描きたかった。」

 

あぁ、なるほど。

恋愛というものは、理想どおりに上手くいかないものだと。

運命の人であろうと、恋愛というのはすんなりと成就しないのだということです。

 

 

では、恋愛の不条理を描いて、作者は何を言いたかったんでしょうか。

自分の解釈では、こういうことだと思います。

 

 

「恋愛を成就させるためには、勇気と行動が必要だ!」

恋愛については、「果報は寝て待て」は通用しないということです。

 

 

物語の中で、東城は、真中に思いを伝える行動をなかなかとることができませんでした。

 

東城が真中に対して、自分の思いを伝えた場面は2つでした。(と思う。)

(A)映画の撮影のシーンの中で、劇中のセリフとして言うところ。

(B)西野の告白に遅れる形で、真中に告白するところ。

 

(A)は真中をドキドキさせたものの、決定打になりませんでした。

(あくまで映画のセリフなんですから、真中にはあれが東城の本当の気持ちかどうかなんて判断できません。)

(B)は西野に遅れたのが致命的です。

 

 

ここから引き出せる「作者のメッセージ」は2つです。

・「思いは、正直に言葉にしなきゃ、伝わらないぞ!」 ということ。(勇気を出して行動しろ!)

・「恋愛はイス取りゲームであって、早い者勝ちだぞ!」ということです。(勇気をだして行動しろ!)

 

 

なんか、身もフタもないメッセージですね。

本当に、たったこれだけの理由で東城綾は振られたんだと思います。

これが現実・・・。

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東城に比べれば、西野は行動力があっただけなんだと思います。

 

 

 

 

この「懸垂告白返し」なんて、運命要素がまったくないです。

ただ、「正直に行動して思いを伝えた」ってことだけで、西野は勝ったんです。

 

 

 

 

ただ、このメッセージ、本当に身もフタもないんですよね。

実用的すぎて夢がない。少年誌でやるメッセージなのか? という疑問符は残ると思います。

19巻もイチャイチャやって、結論これかぁ・・・みたいな。

 

 

ポジティブに考えれば、主な読者である中高生に対する、実用的な恋愛アドバイスなんですけどね。

 

 

落ち目の奴の逆をいく

学習には、 大きく分けて2つの方法があります。

ひとつは上手い人についていくという方法。

もうひとつは、下手な人の逆を行くという方法です。

 

ここではとりあえず、上手い人についていくのを雛鳥戦法。

下手な人の逆をいくのを哲也戦法とよんでおきましょう。

 

 

(哲也というのは、麻雀放浪記を原作とした漫画、哲也のこと。

4巻ぐらいだったと思いますが、絶対に放銃しない能力を持つ不死身のリサというのがいまして。

 

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はじめは捨てる牌をリサに聞いて選んでいたのですが、そのうちリサの能力が発揮できなくなる。その際哲也は、リサが選んだ牌とは逆の牌を選ぶことで窮地を逃れるというシーンがあるんです。「落ち目の奴の逆をいく!」って。

 

反面教師戦法とよんでもいいんですが、この話気に入っているので、このままいきましょう。)

 

でも、この話気に入っているので、このままいきましょう。)

 

 

上手い人についていく という方法は言わずもがなですが。

下手な人の逆を行くという方法も、場合によってはかなり有効です。

 

 

答えが一つに定まっている場合、雛鳥戦法は超有効です。

例えば、問題集を解くというのは、解答例を先生として、それについていくことにあたります。

 

 

答えが一つに定まらない場合。人によって答えがバラバラになる場合。逆に、哲也戦法が有効です。

 

この方法では、無数の失敗例を有効活用できます。

 

例えば起業。スティーブ・ジョブズを先生として雛鳥戦法をとっても、たぶん上手くいきません。あれは才能が寄与した部分が大きすぎるからです。

それよりも無数の失敗者達の失敗例をかき集めて、この方法は避けよう、あの方法は避けよう、というふうに消去法をとっていったほうが、おのずと良い道が残る気がします。

 

ベストな回答は出せないけれども、その場でのベターな回答をだそうとする時、かなり有効だと思います。

 

 

という、自分用のメモ。

サルが食いかけでエサを捨てる理由

 

サルが食いかけでエサを捨てる理由 (ちくまプリマー新書)

サルが食いかけでエサを捨てる理由 (ちくまプリマー新書)

 

 

印象に残ったところまとめ。

 

・レーシングカーと乗用車

例えるなら、ネコはレーシングカー、イヌは乗用車だという。

 

ネコは単独で狩りをするタイプである。

脊髄を切断するのに特化した牙の形と間隔。獲物を押さえ込むための鋭い鉤爪。鉤爪を収納できる鞘のような仕組みをもっている。狩りの際、瞬発力を重視した構造。

 

イヌは集団で狩りをするタイプである。長距離をゆっくり走るのに適した足。集団で生活するために発達した脳をもち、社会性を発揮できる。

 

例えるなら、ネコはレーシングカー。目的に対して究極の肉体構造を持ったタイプ。

イヌは乗用車。荷物も運べる、人も運べる、旅行もできて、レースもできないことはない(負けるけど)。汎用性が高い構造である。

 

また、昆虫で例えたら、カマキリとアリだとか。

 

 

 

・人間は、なぜ体毛が薄いか

「渚原人説」というのが興味深い。

 

人間の祖先は水辺に棲んでいたサルで、敵に狙われたときに水に逃げ込み、息を吸うために頭だけ出してやり過ごしていたというもの。こう考えると、様々な人間の特徴が説明できる。

まず、海水の浮力に助けられ、直立姿勢をとりやすくなる。そのまま砂浜に戻ってくれば直立歩行の出来上がり。直立姿勢をとることになって、脳が大きくなっても支えられる背骨が発達した。両手が自由になり、いろんないたずらができるようになった。

水の中で直立した場合は、子供におっぱいをあげていたメスは、子供に息をさせるために、高い位置に持ち上げなければいけない。すると胸以下のおっぱいは無駄になり、いちばん上のおっぱいだけが残った。

水に入ると毛は邪魔になり、呼吸をするために水面から出していた頭だけを残して、ほかはつるつるになった。毛は虫がついたりするため、水辺で暮らすなら、ないほうがいい。

 

そして、根拠として、人間は陸上で暮らす他の生物に比べ、非常に塩分に強いという性質がある。これは水辺にすむ生物ゆえではないのか。

また、道具を発明していない段階の人間が、鳥や、木の上の獲物、走り回る生き物を獲るのは無理だったんじゃないかと考える。すると、人間が素手で獲れるノロマないきものは、カニとか貝で、これをたんぱく源としてとっていたという。

 

 

 

・かわいさの法則

哺乳類に、かわいさの法則というものがある。

たとえば、二頭身や三頭身でまあるい頭。丸くて大きな、離れた目。武器としての、牙や爪が未発達。運動能力の低さを示す、たどたどしい動き方。

つまり、「自分は無力ですよ」ということをしめす。

 

こういうものを、哺乳類は「かわいい」と感じるようにできていて、親は子供を守るし、子供は親に守らせ、育てさせるという戦略をとっているという。

 

逆に、そういう法則が必要ない生物もいる。生まれてすぐに親から独立する、親が育てる必要のない生き物。例えば爬虫類、魚類、昆虫など。生まれたらあとはほったらかしなので、親が「かわいいな」と思う必要がないため、そのように生まれてくるのだそうだ。

 

そして、親が「かわいいな」と思いながら育てられる生き物は、高等な社会生活を営んでいる種族である。つまり、子供時代に、本能以外でいきていかなければいけない、その動物の世の中のしくみを、親から学ばなければいけないからだという。高等な社会で生きるためのトレーニング期間として、子ども時代があるということ。

 

 

 

・家畜になることで、種が存続できる。

人間の価値観から見れば、食べられるだけの牛や豚は、お気の毒というほかない。

しかしこれを、牛や豚は人間が守っているから、今も絶滅を免れているというふうに考える。つまり、牛や豚は人間に家畜化されることによって、「種全体の存続」を保証されているわけである。人間を利用しているともいえる。

 

例えば、インドネシアのスラベシ島に、バビルサという豚の祖先に近いイノシシの一種がいるが、これは絶滅しかかっている。なぜ絶滅しかかっているかといったら、豚にならなかったのがいけなかったのだ。牙を突き出して、人間になつかなかったために、絶滅の道をたどっているのだ。

 

絶滅のリスクを背負ってまで、野生にとどまり人間と拮抗するか、個体は人間にくわれても種全体を絶滅から守ってもらうか。要は種全体として存続すれば、その動物種は成功なのだという。

 

ここには個人主義といった考えはなくて、種全体で存続するという考え方が貫かれている。すごい考え方だと思う。

 

お金がないなら、アドレス110を買おう。

自分の移動手段はバイクです。

四輪の自動車は、車自体も、維持費も高すぎます。

公共交通機関も大して発達してないところに住んでいるので、自家用車がないのもきついです。

 

だから、バイクです。

 

 

 

以前は、250ccのバイクに乗っていたのですが、乗りつぶしました。それを期にアドレス110に乗り換え、1年たちました。

 

もう、かなり買ってよかったと思ってます。

 

http://www3.suzuki.co.jp/suzukinirin/smadmin/upload/productdetailimg/1438/pc.jpg

 

 

www1.suzuki.co.jp

 

 

 

 

個人的に良かったと実感したところをまとめました。

 

 

 

原付二種のメリット

まず、アドレス110が属する原付二種の一般的メリットから紹介。

 

・任意保険に、ファミリーバイク特約が使える。

 ファミリーバイク特約とは、「家族・もしくはバイクを乗る本人」が自動車保険に加入している場合のみ、加入する事が出来る125cc以下バイク限定の安い保険のこと。これを使わない手はありません。普通の任意保険は高いです。事故を起こさない優良ドライバーほど、保険では損してしまうので、基本の料金を抑えることは戦略上重要でしょう。

 

 

・燃費が良い

 軽く45km/Lぐらいは走ります。250cc乗ってた時はだいたい30km/Lだったのを考えると雲泥の差でした。四輪自動車を比べると、さらに差がつきます。

 オイルにかかるお金もぐっと下がります。自分の場合アドレス110にしてからは、オイル代は250ccの時の半額でした。

 

 

・公道を走るなら、十分な速度

 50cc以下の原付も維持費が安いですが、法律上30km/hしか出せないことになってます。また、原付が60km/hを出すのは、結構車体に無理をかけている状態です。警察にビクビクしながら速度を出すのも嫌ですし、道路の左側を走って、60km/hで横を通り過ぎる車にビクビクするのも嫌です。

 原付二種はしっかり60km/h以上を出せるように設計してありますし、道路の流れにのることができます。小さい割りに、無理なく道路を走る十分な性能を備えているといえるでしょう。

 

 

・すり抜けが楽

 車体が小さいため、車の間をすり抜けやすいです。このためにバイクに乗っているといっても過言ではないと思います。取り回しも良いため、低速でギリギリのところを抜けることもよくあります。250ccだと、ミラーがひっかかりそうで通れない、ということがよくありました。取り回しが悪いのもつらかったです。

 

 

・駐車が楽

 街中の小さい駐車場で恩恵を受けられます。エンジンをかけてはいけないところでも、押して歩くのが苦じゃありません。

 

 

アドレス110の良いところ

次に、原付二種の中でも特に、アドレス110の優れたところ。

 

・尋常じゃなく、安い。

 税込み20万5千円。これ、めちゃめちゃ安いです。新品でこれです。125ccだと、だいたいは25万以上します。そして、性能も悪くない。

 

 

・14インチホイール

 125ccのスクータータイプのバイクは、10インチホイールが多いです。アドレス110は、車体が小さいわりに大きなタイヤを採用してるため安定感があり、地面の凹凸で感じるストレスが小さく、道路から敷地に乗り上げるのも楽です。

 

 

・車体の軽さと、燃費。

 車重97kg。めっちゃ軽いです。

 軽いので取り回しも良く、当然、車体が軽いほど燃費が良くなります。

 

 

・スクータータイプ

 収納が多い。さらにボックスをつければ、荷物にはほとんど困りません。

 雨の日もいける。足置き場の前に壁があるので、足元は濡れにくいです。

 チェーンが外に出てないのも良いでしょう。

 

 

・サイドスタンド標準装備

 駐車の際にはセンタースタンドよりもサイドスタンドのほうが強風に強く、倒れにくいです。傾斜があるところに駐める時にも良いかと。

 

 

 

 

おまけ

 

ハンドルカバーって、250cc時代は食わず嫌いで使ってなかったんですが、使ってみたら最高でした。もうダサさとか気にしません。

 

・防風と防寒。

 しっかり防風してくれます。防寒として、中に毛糸の手袋をつけて使ってます。手とハンドルとの間には薄い毛糸しかないので、操作も思いどおりです。

 真冬だと、それでも寒いですが。

 

 

・防水

 これ、ポイント高いです。雨の日の手元に関しては、ハンドルカバーが一つの最適解ではないかと思っています。ハンドルカバーはウェットスーツのような生地なので、中に水は通しません。

 防水とうたった手袋はありますが、100%水を通さない、乾かさなくてもいいというものはあるんでしょうか?たぶん、ないと思います。

 これを使う前までは、手袋をいちいち乾かしていたので、そこから解放されたのは最高でした。