小学生並みの日記

肩肘張らずに語ろう

オナニー後のティッシュをどうするか問題

タイトルの通りです。

オナニー後のティッシュ、どうしてますか?

 

自分の部屋のゴミ箱にそのまま放置すると、異臭がすごいですよね。

生物の分泌物なんですから、臭いのも当然です。

でも、部屋の快適性がそがれるし、オナニーが公然とバレるのは嫌です。

 

親にも、友達にも相談できないこの問題。みんなどのように対策してるんでしょうか。

突然、ふと思い立ちました。

 

相手に聞くより、まず自分から。

私のティッシュとの戦いの遍歴を紹介します。

 

自分がたどった方法は、以下の3つです。

・捨て紙方式

・トイレ水洗方式

・ビニ袋方式 

 

順番に紹介します。

 

捨て紙方式

使い終わったいらない紙を常備しておき、ティッシュをその紙でくるんでから捨てる。

 

という方法。

 

 

当時、高校生だった僕は勉強する時、ルーズリーフを計算用紙やメモ紙として使っていました。そして、使い終わった紙をただ捨てずに机の端に放置しておき、ティッシュの処理用として使っていました。

 

勉強のストレスをオナニーで解消すると同時に、勉強によって出たゴミティッシュを、勉強によって出た捨て紙で処理する。

完璧な作戦だと、当時は思ってました。

 

 

この方法の元ネタは、4コママンガ「妹は思春期」です。何巻にのってたかは忘れました。

本自体も売ってしまったため、画像もないです。ごめんなさい。

ネタの内容は、

 

兄「オナニー後のティッシュを、いらない紙でくるむことで臭いを抑えることができ、これによって妹にもバレないのだ!」

兄「しかし、この方法を試してから、妹が勘違いして、スタミナ料理ばかり作るようになったため、この作戦は使わないことにした。」

 

というもの、草。

 

 

しかし、この方法には欠点があります。

単純に、臭いが完全に消せないんです。漏れるんです。

 

ということで、次の方法に行きました。

 

 

トイレ水洗方式

あらかじめ必要な分だけトイレットペーパーをもってくる。

あるいはトイレットペーパーを部屋に常備しておく。

オナニー後、ティッシュをトイレに流すことで証拠隠滅。

 

という方法。

 

 

ティッシュを外に捨ててしまうという悪魔的発想。

かなり良い方法だと思いますが、以下の部分がネックです。

 

・わざわざトイレにいくのが面倒くさい。

・ティッシュを持ってトイレに行く姿を家族に見られたらどうするか。

・捨てにいく時に、誰かがトイレを使ってる可能性があり、そこを考慮するのが面倒。

・オナニーのために、トイレからトイレットペーパーを持ってくるのが面倒

・部屋にトイレットペーパーがある不自然さ。

 

 

面倒、面倒のオンパレードですね。

オナニーは手軽さが売りなんです。セックスが高級料理だとしたら、オナニーはさっと食べれるファーストフードなんですよ。

 

そもそも、オナニーに計画性なんて持ち込んじゃだめなんですよ。

思い立った瞬間には行動は終了している。みたいなのが理想。

考慮するのはオカズだけ、それ以外のことは考えないようにしたいですね。

 

やはり、オナニーという超プライベートな行動については、すべてを自分の部屋の中で完結させたいです。

 

 

 

ビニ袋方式

部屋にビニール袋を常備。

オナニー後、ティッシュをビニール袋にいれて、口を縛ってゴミ箱へ。

 

という方法。

 

 

自分の現在の方式がこれです。

ビニール袋なので、臭いは完全にシャットアウトできます。

一番スマートな方法だと思います。

 

 

自分は古本屋に行くため、よくビニール袋をもらいます。

この空き袋を部屋に常備しておくだけです。

この用途以外にも、単純に袋が使いたい場面というのがよくあるため、言い訳もあるし、後ろめたさもない。精神衛生上も良い方法です。

 

 

ビニール袋の在庫が切れるとアウトですが、その状況になったことはないです。

在庫がきれそうな人は、こまめに買い物をして、日本経済に貢献するといいと思います。

 

 

 

 

匿名だからできるネタですね、これ。

健全な学生諸君にお役に立ちますように。

ぼんやりさん

この土日は本当にぼんやりだった。

 

仕事の疲れもあるんだろうけど、もう、本を読む気力もあんまない感じで、なんとなくネットを眺めたり、無為に時間を過ごした感じがすごい。

 

なんかもう少しアクティブに動く必要があるなと思った。

 

習い事でもするかなぁ、本当に。

小林さんちのメイドラゴン第13話(最終回)感想

トールっていい子じゃん!しかもさ、メイドなんだぞ!分かってんのか!?」

「私のメイドをもっていくな!」

 

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この話、つまり、こういうことですよね。

 

 

「人はメイドに生まれるのではない。メイドになるのである」

漫画:エマ(うろ覚え)

 

エマ 1巻<エマ> (HARTA COMIX)

エマ 1巻<エマ> (HARTA COMIX)

 

 

1話のトールは、洗濯は口、料理は尻尾、洗濯物の乾燥の邪魔だからと雲を消し飛ばしたり、人間社会のルールも、メイドのなんたるかも分かってませんでした。

 

そこから12話かけて、家事を120%こなし、料理もコーヒーも、エルマや小林さんに褒められるレベルに。13話ではコーヒーを一回蒸らしてからドリップしてましたね。こまかいなぁ。

 

小林さんのメイドへの凝りっぷりはもはや言わずもがなですが、第12話でも語ってました。

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「いい?メイドっていうのは単なるお手伝いさんじゃないの。本来はハウスメイドとか、ランドリーメイドとか役割が違って、なるのにだって訓練が必要で、そこらのメイドカフェとはわけが・・・」

とか語っちゃうぐらい、こだわりがある小林さんが認めたってことで。

トールはそれだけメイドになるために頑張ったってことなんでしょう。

 

トールはメイドに ”なった” んですね。

 

 

今回、13話ではトールがいなくなることで、精神的にも、物質的にも、家でのトールのかけがえのなさを小林さんは感じます。

この散らかった部屋とか、出来合いの弁当とビールとか、疲れきった小林さんとか、見てて悲しくなりました。

父子家庭って、マジきついですよね。

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母親不在は、子供だってつらい。家に帰ったらひとりですもんね。

カンナちゃんが才川に甘えるところは、うるっときました。

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んで、トールのお父さんがきて、ドラゴンの世界に戻ってきなさい、って言うんです。

寿命が違うとか、人間社会に干渉してはいけないとか、色々理屈つけてますけど、結局これもエマと同じ構図なんですよ。

 

 

エマっていうのは、上流階級の紳士であるウィリアム・ジョーンズ君が、下流階級のメイドのエマと恋に落ちちゃって、上流お父様に「ダメ!」って言われる話なんです。

 

 

つまり、ベースは

「上流種族ドラゴンは、劣等種族人間と好きあっちゃダメ!」

「劣等種族の人間社会で、生活するなんてもっての他!上流世界に帰ってきなさい!」

っていう話なんですよね。

 

そして、そこから先が違う。

 

エマのほうは、最終的には

「じゃあ、下流メイドであるエマが、上流紳士の奥さんにふさわしいように” なれば ” 文句ないよね」

って方向に進みます。下が上に合わせる方向。

 

小林さんちのメイドラゴンのほうは逆で、

「上流ドラゴントールが、劣等種人間にふさわしいように、人間社会のルールを学べばいいよね。」

って方向です。上が下に合わせるって方向。

劣等種といっても、その文化まで劣等ってものではないのには注意ですね。

むしろルールは、互いの利益のためには素晴らしい。(この辺は第7話感想を参照)

 

 

小林さんちのメイドラゴンには、異種間コミュニケーションってテーマがあると思ってますが、それを最終話でまとめた感があります。

 

トールパパの主張は、こう。

「ドラゴンと人間は違う種族だから、分かり合うことはできない。」

 

小林さんは、「それは短絡的だ」と主張した上で。

「違いを分かった上で、折り合いをつけていかないと、物事はすすまない。」

トールは人間社会のルールを学び、人間社会で生活できるようになった。つまり、折り合いをつけた。そこまで娘はやってるんだから、あとは親であるアンタは、子供のことを信じてあげろよ。」 

 

 

「身分差を乗り越えて結ばれるだけ」という構図から、一歩先をいった感じがします。

最後まで大人ですね、小林さん。ステキ。

 

 

 

 

あとは、本当に感想。

小林さんが、メガネ破壊されてからの言葉はいいですね。

トールがいない生活は、もう嫌だ っていうフラッシュバックからの、圧倒的力に立ち向かって、トール好き!っていう告白もいいし。

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あのオクテな小林さんがここまでやってるんですよ!?素晴らしいですね、グッときます。

 

 

あとこれね!スカート穿いてて、塀を乗り越える時は両腕を支点にして、こうね!

わかってるよ!

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言いたいことは、こんなところでした。

 

小林さんは、自分の中ではかなりヒットだったなぁ。面白いキャラでした。

アニメを1クール通して見るって久々でしたね。かなり楽しめました。

漫画のほう買ってみようかなぁ・・・。

 

 

 

・伏線コーナー

ナズナ

冒頭のナズナトールのことですね。

「あなたに私の全てをささげます。」

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◯第12話に唐突に出てきた、メイドになりたい盗賊の女の子

「自由を手にしたら、メイドになるの!」

「私が選ぶの!自由に選ぶの!」とか言ってた子

 

自分の進路は自分で選ぶ。何かに強制されずに! っていう伏線でしょう。

そう考えないと、なんで挟んだのか分からないエピソードだなって、思います。

【げんしけんの感想1】オタクは面倒くさい。

 

数年ぶりに、げんしけんを読み返してます。

 

げんしけん(1) (アフタヌーンコミックス)

げんしけん(1) (アフタヌーンコミックス)

 

 

ちなみに二代目(10巻~)は途中までしか読んだことないです。

 

当時、個人的には「蛇足だなぁ・・・」としか思わなかったんですよね。新キャラだして、斑目ハーレムにして、何が言いてえんだこれ・・・?って。

人気のある斑目くんをもう一回紙面に持ってきたかっただけじゃないのこれ?

とか思ったりなんだり。

 

 

 

気を取り直して、本題。

今、1~3巻。

 

げんしけん1巻の発売年は 2002年。自分の記憶に残ってる電車男が2年後の2004年。世間では、「オタクって何?コミケって何?」みたいな時期だったんだと思います。

 

自分が読んだのも、中学生ぐらいの時で、はぁ、こんな世界があるのかと。

内容まではあまりピンときてなかったと思います。

 

その時期にあって、「げんしけん」という漫画は、現代社会の迫害民族オタクの文化人類学的フィールドワークと捉えることができます。

(現代といっても、2017年現在は、迫害感は減衰してきてる感じがします。以前は漫画は有害みたいな主張が多かったですが、漫画は日本の文化、クールジャパンとかいって手のひらクルー してるところもありますし。)

 

重度オタクの高坂真琴を彼氏にしてしまったばっかりに、結果的にフィールドワークしちゃってるのが、1巻表紙の 春日部咲 なんですよね。

オタク族ってやつらがいて、そいつらの生態・生活・文化 は実はこんな感じなんですよと。

 

オラオラ系の奴らが通ると、オタクは静かになるとか、こんなあるある描写が面白い。

 

  

げんしけん」はオタクを題材として選び、かなりライトで、楽しく読めるものになってると思います。

しかしながら、作者の木尾士目さんは、もともと4年生とか描いてる人。

人間関係の問題あれこれを主に描く人なんですよね。

げんしけん」はライトな層も惹きつけつつ、ちょっとめんどうな人間関係というところも印象的にうまく描けている。そんな作品だと思うんです。

四年生 (アフタヌーンコミックス)

四年生 (アフタヌーンコミックス)

 

 

 

 

主人公笹原、自分のオタクさを受け入れる

1巻はほとんど笹原が、自分のオタクさを受け入れる話です。

 

オタクに”なる”って、結構葛藤があるんです。

自分のオタクさを、アイデンティティとしてとりこむ、って大変なんです。

オタクだって人間です。自分が恥ずかしい趣味を持ってる自覚はあるんです。

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 どうあがいても、客観的に見たら、キモい。

 

 

でも、「自分はキモいあいつらとは同類じゃない・・・」という根拠のないプライドが必ず出てきてしまう。

自分は例外みたいなふうに思ってしまう。

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非オタでもなく、かといってどっぷりオタクになっているわけでもない。

中途半端な位置にいた笹原は、高坂の部屋に行ってあることを自覚します。

「俺に足りないのは覚悟だ」

 

非オタとオタクの境目、地割れのような境界を越える。

非オタの殻を破らなければならない。

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覚悟のあとは行動です。

 

突き抜けるんだ! 笹原! って感じ。

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この独り言がいいですよね。

オタクらしい行動をとる自分を、冷静に眺めている自分がいるんです。

「俺は同類じゃないとか思ってるオタク」という過去の自分見ては、「おいおいそんなんじゃダメだろ!」と独り言を言う。

確実にオタク側の方へ重心がうつってきてますね。やったぜ!笹原!

 

 

そして、1巻まるまる使って、笹原は自分のオタクを受け入れることができます。

こういうの、なんていうんでしょうね。小さいことのようにも見えるんですけど、

でも、結構、大変なことなんですよ。これ。

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ついにはモジモジせず、迷いのない欲望を言葉にできる男に。

「(オタクとして)立派になったなぁ・・・笹原」

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自分専用のPCを買った後のシーン。

割りと好きなシーンです。

当時は今よりPCも高かったでしょうね。一国一城の主になった、みたいな感覚、満足感。わかるなぁ。

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オタクは面倒くさい。

自分の抱えている趣味がおおっぴらにできないからでしょうか、友達がつくりにくいんですよ。オタクは。

 

恥ずかしいから、自分の趣味は隠したい。

だけど、寂しいから仲間はほしい。

 

この2つの気持ちの両立に悩むのがオタクなんですね。

 

 

オタク、大野加奈子の部屋に入るシーン。

 

態度では「(オタ部屋も趣味も)絶対見せませんからね!」と言っておいて、

でも、言葉とは裏腹に、そんな恥ずかしい自分を受け入れてほしい。

 

この気持ちを、「扉をしめてるけど、鍵はわざと開けてある。」

という表現に落とし込む。

これ、すごいと思います。

 

 

・オタと非オタは価値観が違う

 

プラモ作成に勤しむオタクチームと、そこに居合わせる非オタ、咲ちゃん。

 

プラモのうんちくとか、愛着とか、オタクがいくら語っても、非オタにとってはうざいだけなんですよね。

価値観が違うから、伝わるものじゃないんですよね。

非オタにとっては、そんなものどうでもいいんだもの。

 

オタクはオタクで、相手が興味がないのに気付かず、語り続けてしまう。

視野狭窄に陥りがちなのも、オタクなのかもしれません。

 

咲ちゃんがプラモを壊してしまうシーン。

大野さんが一週間かけてつくったプラモです。

 

オタクの語りだけじゃ分からないけれども、

大野の涙と、斑目のこの言葉で、初めてその価値観が分かる。

 

咲ちゃんが、オタクをすこし理解する

これ、屈指の名シーンだと思うんですけど、どうでしょう。

 

 

オタクと仲良くなるには?

オタク高坂を咲から奪うため、自分もオタクになれば、高坂にふさわしい女になれる。

笹原妹はこう考えて、オタクになろうとします。

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が、無理です。

笹原妹はコミケに敗北します。

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だって、人種が違うんですもん。

同じ色に染まろうとしても、染まれないものは染まれない。

 

では、どうすればいいか。

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 そもそも、オタクになることは、仲良くなるための必要条件ではないんですね。

 

無理に同じ色に染まろうとするよりも、「こいつらは自分とは違う人種だ」 というところから出発するほうが建設的な方法ですし、仲良くなれる。

 

オタ、非オタに限らず、人間関係を考える時にはかなり有効ですよね、これ。

 深爪式にもこんな話があったような、なかったような・・・。

 

 

 

1~3巻で気になったのは、こんなところ。でした。

【はぐちさん_ルーツビア】僕達はすでに十分頑張っている【感想】

 「はぐちさん」はすごくいい漫画だと思います。

 

はぐちさん (フィールコミックス)

はぐちさん (フィールコミックス)

 

 

何が良いっていったら、大きくは2つ。

 

 

ひとつは、異世界の生き物と一緒に暮らすと、いつもの退屈な日常が違って見えるよということ。

 

異世界の生き物は、現代社会の我々と違った価値観を持ち込んでくれます。

 

均質な意見、価値観に覆われた社会というのは、非常に息苦しいものです。

 

例えば、仕事に生きる人がいてもいいけれども、そんな価値観ばっかりでは息苦しい。

 

趣味こそ大事だとか、友達と遊ぶことこそ重要だとか、ゴロゴロして何もしたくないとか、多様な価値観があって、その中から自分の好きな価値観を選べたほうが、人間はのびのび生きられる気がします。

 

 

そんな均質な価値観を相対化するのに、異世界の生き物(異文化の人々)は一役買ってくれます。

 

 

例えば、ネコと暮らすというのも、一つの手です。

phaさんがブログで「ネコを飼ったり、子供と暮らしたりすると家での人間関係がうまくいく」って言ってた気がするんですけど、こういう理由でなんだと、自分は思ってます。

 

 

それから、「よつばと!」もこの構造でできてると思います。

よつばちゃんの発想は、我々の価値観の斜め上をいき、違った価値観を持ち込んでくれます。

 

例えば、自分達にとって、雨は嫌な天気ですし、セミはうるさいだけです。

 

しかし、よつばちゃんにとっては、雨は「すっげー!」ですし、ツクツクボウシは「夏を終わらせる妖精」です。

 

違った世界の見方が提示されて、ちょっとだけ、雨もセミも悪くないかもな、なんて思えてきます。

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 (ところであずませんせい。14巻まだですか?)

 

 

 

 

良いところのもうひとつは、「僕達はすでに十分頑張っている」というメッセージです。

 

唐突なようですが、現代社会は明らかに、我々に大きな負担を強いています。

仕事も、キャリアを積み重ねることも、勉強も、育児も、親の介護も、身の回りの家事も何もかも、24時間内でやれと。

社会は我々に、「お前たちはまだ頑張れる。もっと頑張れ。」というメッセージを発信し続けます。

 

 

それに対して、「はぐちさん」は、「そんなことはない。君たちはすでに十分頑張っていますよ。」と言ってくれている気がします。

我々の大多数は、大した社会的地位もないし、大きな仕事でもないけれども、毎日ヘトヘトになるまで頑張っています。

十分、社会を支えるために体を張って頑張っているんです。

 

表紙の「えらいよ」って言葉が、そんなヘトヘトの僕達を祝福してくれます。

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えらいんです、僕達は。

 

僕達は、「すでに僕達は十分頑張っている」と胸を張っていいんじゃないかと、思うんです。

 

 

 

 

ルーツビアにも、僕は同じことを感じます。

 

comic-earthstar.jp

 

ルーツビアの主人公は仕事でヘトヘトのOL達です。

 

そんな疲れ果てたOL達を、居酒屋のうまいビールと料理が、

 

「今日もおつかれさん。頑張ったね。」

 

と祝福してくれる。そういう漫画だと思うんです。 

小林さんちのメイドラゴン11話感想

トールぅ、私の代わりにトイレいってきて

 

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ほんとこれですよ。

 

 

 

誰か自分の代わりに、なんでもかんでも全部やってくれないかなー

 

仕事も家事も、掃除も、飯も、お風呂もトイレも、睡眠もさー

 

全部やってくんないかなー

 

生きるのがつらいよー、めんどくさいよー

 

 

 

こんなに科学技術も発達してさぁ、単純労働はロボットが、事務作業はプログラムが大体やってくれるのにさぁ、なんで毎日8時間も10時間も働かなくちゃいけないんだよ。

 

もっと最低限度で働きてぇよ~~~

 

 

 

 

仕事に関して言えばさぁ、どいつもこいつも仕事が雑でさぁ、結局自分が割りをくうんだよ。

 

あとはまかせた!って言ったら、全部ミスなくやってくれる人ばっかりだったらなー。

そんな人数えるほどしかいなくてさー。

 

あー、もうやだやだやだやだ。

 

 

 

 

【急募】なんでも代わりにやってくれる人

なぜ、いちご100%は西野エンドなのか?

いちご100%の続編つくるとかなんとか ですね。

真偽は分かりませんが、いい機会です。

ぼんやりした記憶にもとづいて、いちご100%を語ってみたいと思います。

 

 

 

どうして、西野エンドなのか?

 ネタバレですが、真中は最終的に、西野とくっつきます。

 

当時、誰もが、西野エンドに違和感を感じたと思います。

 

 

この漫画において、ヒロインの王道をいってるのは間違いなく、東城綾のほうです。

 

 

 

・「空からふってきた、いちごパンツの女の子」は東城綾です。

 

東城綾は 「メガネをかけた、アカ抜けない文芸部キャラ」 から 「実はメガネを外すと超カワイイ子」に変貌を遂げます。

メガネの時点では誰も見向きもしなかったのに、真中だけは魅力に気づいていました。

 

・趣味もあっていて、相性がいいです。

東城が脚本書いて、真中が映画撮るという、パートナーとして分かりやすい未来図もがっつり匂わせます。

 

・文化祭の占いで、運命の人と出てるのも東城綾です。 

 

 

話の中に散りばめられてるフラグを見ていったら、どうみたって

「ああ、最終的に真中は東城とくっつくんだろうな」って思います。

 

 

でも最後になって、真中は西野とくっついちゃうんです。

これだけ漫画の中に、運命の人、運命の人、運命の人 とフラグを散りばめておいて、なぜなんでしょうか。

 

 

恋愛の不条理

作者は、物語の終わり方について、最終巻のあとがきにこう書いています。

 

「恋愛の不条理 を描きたかった。」

 

あぁ、なるほど。

恋愛というものは、理想どおりに上手くいかないものだと。

運命の人であろうと、恋愛というのはすんなりと成就しないのだということです。

 

 

では、恋愛の不条理を描いて、作者は何を言いたかったんでしょうか。

自分の解釈では、こういうことだと思います。

 

 

「恋愛を成就させるためには、勇気と行動が必要だ!」

恋愛については、「果報は寝て待て」は通用しないということです。

 

 

物語の中で、東城は、真中に思いを伝える行動をなかなかとることができませんでした。

 

東城が真中に対して、自分の思いを伝えた場面は2つでした。(と思う。)

(A)映画の撮影のシーンの中で、劇中のセリフとして言うところ。

(B)西野の告白に遅れる形で、真中に告白するところ。

 

(A)は真中をドキドキさせたものの、決定打になりませんでした。

(あくまで映画のセリフなんですから、真中にはあれが東城の本当の気持ちかどうかなんて判断できません。)

(B)は西野に遅れたのが致命的です。

 

 

ここから引き出せる「作者のメッセージ」は2つです。

・「思いは、正直に言葉にしなきゃ、伝わらないぞ!」 ということ。(勇気を出して行動しろ!)

・「恋愛はイス取りゲームであって、早い者勝ちだぞ!」ということです。(勇気をだして行動しろ!)

 

 

なんか、身もフタもないメッセージですね。

本当に、たったこれだけの理由で東城綾は振られたんだと思います。

これが現実・・・。

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東城に比べれば、西野は行動力があっただけなんだと思います。

 

 

 

 

この「懸垂告白返し」なんて、運命要素がまったくないです。

ただ、「正直に行動して思いを伝えた」ってことだけで、西野は勝ったんです。

 

 

 

 

ただ、このメッセージ、本当に身もフタもないんですよね。

実用的すぎて夢がない。少年誌でやるメッセージなのか? という疑問符は残ると思います。

19巻もイチャイチャやって、結論これかぁ・・・みたいな。

 

 

ポジティブに考えれば、主な読者である中高生に対する、実用的な恋愛アドバイスなんですけどね。