ひとり上手
上記の本は以前読んだだけで内容は覚えてないので、この記事の内容とは関係ないはずです。
人混みが苦手だ。
正確に言えば、人の集団に交じるのが苦手だ。
例えば、パーティ会場みたいな状況。
大勢人がいるけれども、何か人と話して自分の居場所をつくらなきゃ!みたいな状況が本当に苦手だ。
自分は会話に何か必然性を求めてしまう質だ。
例えば、自分は帰る時間帯に雨に濡れないかを心配して・・・という状況であれば、天気の話題ができる。「天気予報では~~でしたよ」とか、「傘持ってきました?」みたいな。
しかし、朝の挨拶ついでに、「今日はいい天気ですね」なんて会話は全くできない。
そもそも、そんな言葉が浮かんでこない。
だって、どうでもいいんだもの。
学生時代、学校生活も当時は苦労していたのかもしれない。
思えば、中学生までは孤独が怖かったので、ヘラヘラとして親しい人をつくってその人とずっと話すという方法で、クラスに居場所をつくっていた。勉強もテスト前だけやるぐらいであまりせず、自意識を強くはこじらせてはいなかった。
その後、中学三年の後半ぐらいから勉強して少し頭を使うようになったり、エヴァンゲリオンなんかを読んだりしてこじらせたのかもしれない。
高校生ぐらいからはなんだか友達がつくれなくなったので、自分に自信をつけてなんとかしようという方向に舵をきり始めた。この頃空手をやり始めたのもこういう理由だったんだと思う。そんなこんなで自分に多少なりとも自信をつけた。
ちょっと話がそれるが、それまでは大声とか、暴力とかが苦手だった。いや、得意な人なんていないと思うけれども、覚悟というものがつくれなかった。
殴られる時の痛みというのはこのぐらいだと知っておくのは、余計な心配をしないようにするのには重要だ。
何事も経験なんだと思う。覚悟完了!って具合に。
そして、自信を少しつけたら、俄然、友達ができなくなった。
自分に自信がつくと、積極的に人に話しかけられるようになるとか、彼女ができるとか考えていたのだけれども、違った。
孤独に耐えられるようになったので、逆に人に話しかける必然性がなくなった。
孤独に耐えられないという状態から、少しの自信によって孤独にも多少耐えられるようになった。そうすると、友達は最低限生きる上ではいなくても困らない。相変わらず寂しい気持ちはあるんだけれども。
より豊かな生活に結びつくとは、頭では分かっていても、人に話しかける絶対的な必然性がなくなったので、話しかけて友達をつくろうという行動がとれなくなった。
大学でも相変わらずで孤独性に磨きがかかり、大概の行動は一人でできるようになった。
最初は孤独が恥ずかしかったが、じきにどうでもよくなり、授業も人を気にせず好きな場所に座り、学食もソロで食えるようになった。一人カラオケなんか楽勝だったので、学校帰りによく通った。
孤独に慣れすぎるとそれが平常運転になり、一人遊びが上手くなった。
友達と遊ぶのも面倒だと思う気持ちがいつも付きまとうようになった。
寂しい気持ちがあるものの、どうしても面倒と思う気持ちも半分ある。
例えば、たまに友達から長電話がかかってくることがある。
電話かけられた瞬間は、少し嬉しいが、時間が経つにつれて指数関数的に面倒くささが増してくる。
5分で終わらず、長時間に及ぶやつなんか最悪だ。
こうなると確実に自分に用事なんてないのだ。
寂しいから!とか、友達と長電話しちゃうぐらい孤独じゃない自分!みたいな、すごく身勝手な理由で行動してるやつばっかりだ。
「俺の時間を大量に奪うどんな理由があるんだ君には」とか考えてしまう。
そんな気持ちが自分にあるばっかりに、逆に、自分から誰かを遊びに誘うのも気後れしてしまうようになった。
いつも、「相手からしたら迷惑じゃないか?」という感覚がつきまとうようになった。
どう考えても、孤独をこじらせている。
頭では分かってるんだが、身体がどうにもならない。
今、この記事を書いたら、ひとり上手という曲が頭に思い浮かんだ。
中島みゆきの曲だ。
今まで全く意識していなかったが、あらためて歌詞を見てみる。
http://j-lyric.net/artist/a000701/l005a34.html
この曲の主人公は基本ひとりで行動している人なんだと思う。
ひとり行動が多いというのは、人と関係をもたない薄情者というイメージがつきまとう。
彼氏だった人は彼女を振る時に、「彼女はひとりが好きな人だから。僕とはうまくいかないんだ。」と、わりと悩むことなく振ったことだろう。
しかし、彼女はひとり行動ができるだけで、ひとり行動が好きというわけではない。
人並み、またはそれ以上に人への感情を、うまく切り替えられずにもってしまう人なんだろう。
ここには、ひとり行動ができる人の悲哀が込められている。
タイトルはこれにしよう。そうしよう。
両手投げボウリングリベンジ
最高スコア141。
安定感が出てきたが、相変わらずスペアをとる能力が低すぎる。
今回の収穫。
回転をかけることを考えないほうがよい。
両手投げを実践するだけで、十分に曲がってくれます。
左足つま先を5番リリースドットに位置させ、3番スパット(あるいは2~3番スパットの間)を狙って投げる。
2番スパットを通ると、ガータに落ちるギリギリを通り、1番、3番ピン間のポケットに入ります。
3番スパットを通ると、1番、2番ピン間のポケットを通ります。
2番、3番スパットの間を通ると、その中間を通ります。
2番、3番スパットの間にボールを通せば、少なくとも1番ピンが倒れるコースにボールが行きます。こう考えるとボールの目標軌道の幅が広いので、大ミスが少なく、スコアに安定感が出て来ます。
ストレートの持ち方とちがって、右手の手のひらがボールにペタッとくっついた状態から、なでるように投げる。
身体を前傾させ、しっかり後ろまで振りかぶることで、ストロークを稼ぎ、球速を上げる。
カーブで10番ピンを狙う際には、レーンの左端から4~5番スパットを目がけて投げる。
ストレートが安定しないため、カーブのほうがいけると思いました。
10番ピンが残ることが多かったです。
ピンアクションが小さいことが原因かと思われます。
そのために速度を上げるか、重いボールを使うかが必要ですが、コントロールが犠牲になりそうで難しい・・・。
両手投げボウリング
ボウリングに両手投げがあること、ご存知ですか?
最近話題らしいです。
タモリ倶楽部でやってたので、素人が早速試してきました。
結果。
素人から、カーブを投げれる素人になりました!!!
最高得点、驚異の132!!!
普通!!!
カーブが投げられたからといって、単純にスコアが上がるわけではないということですね。
得点のためには、確実にスペアをとれる練習が必要のようです。
投げ方のコツ(右利きの場合)
・右手の親指を抜いてボールを持ち、左手をボールにそえる。
・投げるまでの歩数は5歩を基本とし、3歩目4歩目でステップを入れる。
・投球ストロークを稼ぐため、姿勢を前傾してバックスイングする。
・投げる際には、ボールをなでるように投げる。
感想
憧れのカーブを自分のものとして簡単に投げれるのが楽しかったです。
手への負担が少なくて良かったです。
ちなみに10ゲームやりました。
カーブだからといって無理に回転をかけない。必要以上に手首をひねらなくてよいみたい。
曲がりの強いカーブボール、曲がりの弱いフックボールという区別があるみたいです。
回転が少なくてすむフックボールを目指しましょう。
コントロールをつけるのが難しいと感じました。
自分の場合、左足は6番~5番リリースドットの間に位置させ、2番スパットをめがけて投げると、1番ピンと3番ピンの間のポケットが狙えました。
斜め方向に投げるため、ガータ恐怖症に陥りやすいです。
思い切って投げるが吉。
投げる前に、あらかじめ若干身体を右側に開いてあげると、2番スパットを狙いやすくなります。
レフト側に残ったピンは、カーブでとても倒しやすかったです。
逆に、ライト側に残ったピンは、斜め方向に角度をつけてストレートを投げたほうが倒しやすかったです。
10番ピンなら、レーンのギリギリ左側に立って、6,7番スパットの間を狙いましょう
以下、個人的なメモ
・シューズは24
・重さは10ポンドで限界
家にあった下の本を読みましたが、両手投げが載ってるわけではないので注意。
絵をみておぼえるボウリング上達法―フックもカーブも自由自在!
- 作者: 中森康友
- 出版社/メーカー: 有紀書房
- 発売日: 1996/06
- メディア: 単行本
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マンガは買わなくていい。
部屋にあった漫画を思い切って手放した。
残した物もあるが、圧倒的に量を少なくした。
捨てる時は「また読みたくなるかも・・・」という思いがよぎるが、その時はまた借りたり、立ち読みしたりすればいい。
どうしても取り戻したくなったら、また買ったっていい。
漫画はもう買わずに、レンタルでいいなって思い始めた。
「ゲオとかブックオフは自分の本棚だ!」と考えることにしたら気が楽になった。
(有料だけど、大した額じゃない)
部屋が整理されて、秩序が戻ったのを感じる。
整理整頓というと、収納スペースを確保することばかり考えてしまうが、まず捨てることが大事なのだ。
少女ファイトに描いてあったことは本当だった。
だから、少女ファイトは売らずに残している。
デュアルモニタ用の壁紙設定方法
デュアルモニタ用の壁紙の作成、設定方法のまとめです。
画像ビューワ「MassiGra」を使ってる方対象です。
Massigra、画像眺めるとき使いやすくていいですよ!
【目次】
A壁紙の作成
A-①壁紙として使いたい画像をMassiGraで開く
A-②モニタの数に合わせてMassiGraを起動。
Massigraの複数起動は、右クリックから「ファイル→もう1つ起動→空のウィンドウ」
A-③それぞれのモニタで、画像を全画面表示。
縦横比が合わない場合は、右クリックから「表示→~~」と進んで、お好みでいい具合に表示されるようにしましょう。下は一例。
A-④キーボードの「PrintScreen」を押す
A-⑤ペイントを開き、貼り付け(Ctrl+V)。貼り付けた画像を保存。
壁紙用の画像の作成は以上です。
B壁紙の設定
B-①デスクトップ上で、右クリックから「個人設定」をクリック。
B-②「デスクトップの背景」を選択(下の欄)
B-③作成した壁紙用の画像を選択し、「変更の保存」をクリックして、設定完了です。
お疲れ様でした。
足置きは世界を変える
キャリア教育という言葉が大嫌いだ
学生時代から、キャリア教育という言葉が大嫌いだった。
キャリア教育というのは、
自分の適正を見極めて、自分の将来(就きたい仕事とか)を見据えて、現在の学習内容を選びなさい
というような内容である。
でも、そんなこといったって、将来就く職業なんて分からないものだし、就活に失敗したらどうなるんだと。
目標だった就きたい仕事につけなかった場合、見据えていた勉強がまったく無駄になってしまう。
そもそも、就ける職業なんていうのはその時代、経済環境、流行、によって大きく変わってしまうものであって、初めから就く職業ありきで自分が受ける教育全てを考えるなんてナンセンスだし、リスク管理がまったくできてないんじゃないかと思っていた。
そんなわけで僕は、なんでもいいから、キャリア教育批判というのを待ちわびていたわけである。
そして、今読んでいるのがこれ。
やはり、内田樹センセはいいことを言う。
キャリア教育が行われる背景
なぜ、文科省は大学に対して、キャリア教育というのをしっかりやりなさいという通達をだすのか。
この背景はなにかといったら、大学を出たばかりの新社会人の仕事への定着率が悪いからだというのだ。
だから、仕事への定着率を上げるために自分の適正を考えて、それに合う仕事を選んで、相性のミスマッチをなくしましょうね。という発想が根幹にある。
才能というものは、他者の懇請によって発揮される。
内田樹によると、自分の適正などというものは、自分の中でうんうん考えたところで分からないものであって、他者からの要請に応える形で顕在化、あるいは呼び起こされるものなんだそうな。
仕事に就いて働いてみる中で、自分の中の才能が呼び起こされるものなのである。
だから、仕事につく前から適正というものを判断することはできないのである。
そして、こんな例を挙げている。
内田樹は、自分は子供が苦手だと思っていたが実際に自分に子供ができてみたら、子供が可愛くて可愛くてしょうがなくて、父性愛に目覚めてしまったらしい。
実際に子供ができてみないと、親としての適正は分からないという話である。
例えば語学。日本の中にいる限り、外国語は上達しないが、外国で生活をすると、必要に迫られてというか、他者から外国語を求められるために、頭の中のスイッチがONになったように上達する。
割りと納得できる話だと思う。
自分の能力なんて、分からないものですもん。