小学生並みの日記

肩肘張らずに語ろう

バクマンの感想まとめ。

 

バクマン。 1 (ジャンプコミックス)

バクマン。 1 (ジャンプコミックス)

 

文字が多い作品。結構読むのが大変だった。

後半なんか、あんまり味わう読み方はしてない。 

 

漫画家マンガって描くの勇気いると思う。デスノコンビすごいと思う。

マンガ家は面白いと思ったものを全力でだしているけれども、それが正しい保証はない、その中で頑張ってるっていうのがひしひしと伝わってくる。

 

そして、漫画家マンガをギャグ漫画ではなくマジメな形で、しかもジャンプで描くというのが素晴らしい。

漫画描きました → ◯◯位でした → やったー

みたいにワンパターンになってしまうのは否めなかったけど、それでもマンガ論をこれでもかと盛り込みながら、ストーリー漫画として成立させた技量に脱帽である。

 

参考

燃えよペン (サンデーGXコミックス)

燃えよペン (サンデーGXコミックス)

 

 

 

 

1巻

漫画で売れるなんてバクチだ!

現実的に漫画家になる難しさがまず語られる。

 

2~ 11巻

ジャンプ編集内の暴露本

漫画家が描く暴露本としての機能は大きい。

人気至上主義、アンケートハガキ、掲載順、持ち込み、読み切り、連載、メディアミックス、年間スケジュールなど。

そして、編集者というものへの愛憎混じった捉え方。

頼れる服部、頼りない港浦という形で表現している。

 

マンガ論

計算型と天才型。王道と邪道。ギャグとシリアス。

タイトル、キャラデザイン、キャラ名。桜木花道って名前は最高だ、みたいな話。

絵がマンガでいかに大事かということ。地味なマンガでもいかに絵に躍動感をもたせるか。

ギャグは安定した人気をとることができるとか。

マンガは、作者の現実の世界観が大きく反映されるとか、過去の経験から生まれるとか。それによってジャンルの向き不向きというのが大きいこと。

アシスタント論。夢の過程として捉える人もいれば、専業アシスタントとなっている人など。

刺激をしあう仲間の大事さ。

漫画家という仕事は時間との戦いで、ものすごく体力勝負であること。

 

改めて言われなくてもというようなことも多いが、大事なことがストーリーとして展開されている。

中でも自分が好きなのが、「ゲイジュツとエンターテイメント」という軸

 

ゲイジュツとエンターテイメント

マンガは芸術であり、読者に媚びる描き方の一切は敗北である。自分のやりたいことだけやればいい。

芸術なんだから万人には理解してもらわなくたっていい。媚びるぐらいなら人気なんて出なくたっていい。売れなくたっていい。みたいな態度。

これがゲイジュツ。

対になるのがエンターテイメント(娯楽)。みんなが見て楽しめる。子供だって楽しめるもの。

 

バクマンでは、蒼樹紅、森屋秀一がこういったゲイジュツを主張する。

でもそれは自己満足にすぎない。オナニーである。

 

すべて自費でやっているというならいいけど、彼女はジャンプに雇われて、マンガを売ることで生計を立てている身である。売れなくてもいいなんていうのはワガママ以外のなにものでもない。

 

ゲイジュツとエンタメ、両方満足させてこそプロ。例えば、スピルバーグや宮﨑駿。

彼らの偉大なところのひとつは、作品をエンタメにして大きな売上を出すことにある。

 

7~8巻のあたりで、「パンチラ」というくだらないと思われがちな話を主にして、蒼樹さんはエンタメを学び、自分の殻を破る。

蒼樹さんに福田さんが「風呂の入り方をどう描くか」をアドバイスするシーン。このやり取りはすごく好きだ。

 

ここから蒼樹さんは人気のでるマンガが描けるようになるだけでなく、自分とは違う他人の価値観に気づき、自分だけの価値観に閉じこもるのをやめる。そしてそれが、他人とのやりとりの柔らかさに繋がってきているんだと思う。

 

別にエンタメ性をだすことは敗北ではない。自分の立ち位置をわきまえた振る舞いであり、強く生きることであり、他人へのサービス精神であり思いやりである。

 

 

余談だけど、個人的に福田、蒼樹コンビ好きだったんだけどなー。

なんで息抜き編担当の平丸くんとくっついたかなーって正直思ってる。

 

 

11巻の「PCP」完成で、亜城木コンビはほぼ完成形にたどり着き、漫画家になるという話は一区切りつく。

ここからはもう少し、個人を越えた大きな話へ。

 

12~13巻

マンガの影響力について。社会への良い影響と悪い影響。

メディアの煽り立てるような報道に対する嫌悪感が伝わってくる。

デスノートのときもそういうことあったんだろうなーというのが伝わってくる。

 

漫画家はくだらない職業か?

画家を引き合いにだして、漫画家は画家に劣るものだろうかという問いがでてくる。

これまでで漫画家に、どれだけ多様な能力が求められるかが描かれているのをみれば、少なくとも劣る職業ではないことが主張されているのが分かる。

そして芸術に比べて、作品が多くの人に見てもらえるということが強調される。

PCPのマネをする子どもたちを見せたりし、影響力の大きさがポジティブに表現される。

 

14~17巻

少年ジャンプ否定

少年ジャンプは、少年ジャンプらしい展開(友情・努力・勝利)しか採用しない。

面白ければ、そんなことにこだわらなくていいのでは?

もっとどす黒い、バトルロワイヤルみたいなものを描いてもいいのでは?というもの

 

しかし、例えるなら少年ジャンプは、映画業界のハリウッドみたいなものである。

少年ジャンプはマーケティングとして、ジャンプらしい作品のみを紙面に載せて、成功をおさめてきた。

決して、ジャンプらしくない作品はすべて面白くないというふうに主張しているわけではない。

マーケティングとしてそういう方針をとっているだけである。

それが嫌ならジャンプ以外で描けばいいじゃないか。

 

編集者不要説

ネットの力、炎上商法をつかって話題になり、連載を獲得する夜神月みたいな奴が登場。

夜神月は編集者の意見を聞かず、ネットで大人数の意見を募り、自分のマンガの方向性を決める方式を採用する。これが短編ものとしては成功。

しかし、連載となったとき、大人数の意見を集約して話としてまとめることに失敗。話の一貫性が保てず自壊する。ネットの支援者も離れていく。

その後、会社を立ち上げた夜神月が再来。

今度は会社内で小規模マーケティングを行って原作をつくり、絵の上手いやつに描かせるという手法をとる。

しかし、これも話に心がこもってないという理由で、連載陣のマンガに負ける。

やはり現在のところ、編集者をつけるというシステムが最適解なのだ。と結論する。

 

しかしながら、港浦を憎めないダメ編集者という感じで描いているところを見ると、決して編集者方式は万能だと主張しているわけじゃないんだろうなと感じる。

 

あと、心ってなんだよとちょっと思う。論としてちょっと弱い気がする。

夜神月が小物すぎて残念だったとも思う。亜城木夢叶コンビに勝つがなんでそこまで目的化してるのかわからない。

 

漫画家は幸せか?

真城は小学校の同窓会に出席。

初めチヤホヤされるが、毎日マンガの仕事漬けでまったく暇がないこと、遊んでないことを打ち明けると、みんなが引いていく。

遊ぶ暇がない。お金も当たれば大きいが、連載を打ち切られたら明日がどうなるかわからないくらい安定感のない職業。青春のすべてをマンガに捧げた亜城木夢叶コンビは、自分達をあしたのジョー矢吹丈に重ね、今の自分達を肯定する。

 

 

「紀ちゃんのいう青春を謳歌するってこととちょっとちがうかもしれないが 燃えているような充実感はいままで なんどもあじわってきたよ…血だらけのリング上でな
そこいらのれんちゅうみたいにブスブスとくすぶりながら不完全燃焼しているんじゃない
ほんのしゅんかんにせよ まぶしいほどまっかに燃えあがるんだ
そして あとにはまっ白な灰だけがのこる…
燃えかすなんかのこりやしない…まっ白な灰だけだ」

 

個人的にはこの回がかなり好き。

 

 

18~20巻

ここから物語をたたみにいく感じ

亜城木夢叶はリバーシというマンガを構想。連載。

アニメ化が決定したものの、声優が誰になるかで揉める。

声優が無事決まり、アニメ放送。夢がかなったねでオワリ。

 

リバーシを僕が担当したかった!」と酔って本音を吐く服部さんが良かった。

スター・ウォーズ/最後のジェダイがクソすぎる

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スターウォーズエピソード8、最後のジェダイ見ました。

 

つまらなかった。

 

まず、過去のオマージュはもういらないと思う。

エピソード7のときは、昔のファンのために旧シリーズのオマージュをいれるのは、お祭り要素としてアリだったと思う。

でも、もういいじゃないですか。新シリーズも2作目なんだから、きっぱりと新しいことだけ打ち出しましょうよ。

もっと旧シリーズのオマージュやれ!なんて言うノスタルジー野郎こそ、クソだよクソ。

 

話がコロガリがとにかく悪い。

フィンとローズの行動が、まったく意味なかった。

ローズが見てるだけでイライラする。アジア人枠なんていらないし、もっと良いのいたでしょうよ。

ごめんね、ブスすぎる。映画にあるまじきブスさ。

基本、役に立たない。最後のほうでフィンがミニデス・スターに特攻するところを邪魔したうえ、謎のキス。

ブスに好かれてしまったフィンの困惑がひしひしと伝わってきた。(絶対違う)

 

ホルド副司令官はしっかりと指示と、その意図を明確にすべきだった。

そうすればポーが抵抗することもなかったでしょうよ。

 

フォースが念力として使えたり、遠距離で姿を見せて会話ができたりできるのはよしとしても、ルークが死ぬことはないでしょうよ。そこはレンを出し抜いたってことでいいじゃん。

 

あ、レンの特訓も全然面白くない。

 

そして、レンがダークサイドに落ちたくだりがしょうもなさすぎる。

レンの闇のパワーがすごかったから、つい気の迷いでライトセーバー抜いちゃって、すぐ思い直したけど見られちゃった。だよ。

ルークの未熟っぷりもひどいし、その上、被害者ヅラしてんの草生えるわ。

その結果、ルークは引きこもるようになりましたって、アンタねぇ・・・。

 

もう、つまらないわ、長いわで最悪だった。

 

そもそも、スターウォーズって神格化されすぎだと思う。

エピソード4から、当時としては画期的だったのかもしれないけど、今みたらそんなに面白くないと思う。

 

個人的には、スターウォーズはエピソード7だけ面白かったと思ってる。

ファンの人ごめんね。

 

メリットの法則ー行動分析学

 

メリットの法則――行動分析学・実践編 (集英社新書)

メリットの法則――行動分析学・実践編 (集英社新書)

 

行動分析学というものを解説した本。

動物・人間の行動は、すごく単純な原理から説明できてしまうと主張する。

実例をあげて解説してくれているため、すごくわかりやすい。

そして、ものすごい応用範囲を感じる。 

 

行動分析学によって、例えば、以下のようなことも説明できてしまう。

・ダイエットがなぜ難しいのか。

リストカットしたくなるのはなぜか。

不登校がなぜ起こるのか。どうやれば治せるのか。

・お店がなぜポイントカードを作らせたがるのか(トークンエコノミー法)

 

 

ついつい我々は、リストカットとか不登校を心の問題と考えてしまう。

そして散々悩んだ挙句、問題の解決に結びつけることができない。

この本は、そういった問題にわかりやすい処方箋をくれる。

あまりにもスッキリとした解答を与えてくれるもんだから、感動すら覚える。

すごいよこれ!!!

 

 

基本の4つの行動原理

「好子」出現の強化(行動の前後で、良い物が増えれば、その行動をしたくなる。)

嫌子」消失の強化(行動の前後で、悪い物が減れば、その行動をしたくなる。)

嫌子」出現の弱化(行動の前後で、悪い物が増えれば、その行動をしたくなくなる。)

「好子」消失の弱化(行動の前後で、良い物が減れば、その行動をしたくなくなる。)

 

 

行動分析学では、「どんな行動をとったか(what)」ではなく、

「行動がどのように機能するか(how)」に注目する。

行動の機能4つ

・物や活動が得られる(好子の出現)

・注目が得られる(好子の出現)

・逃避・回避できる(嫌子の消失)

・感覚が得られる(好子の出現)

 

こういう、単純な原理から人間の行動を説明するという本をずっと待ってた気がする。

自分の行動にも、他人の行動にも、どんどん応用してみたいと思った。

 

最近のポプテピピック

ch.nicovideo.jp

 

第一話

クソだと思った。(褒めてない)

普通に四コマをそのままアニメにしてもつまらんですし。

星色ガールドロップから~私だよ!は完全にお約束になってしまっているからか面白くなかった。

「私だよ!」の布石としてOP頑張った割に一回しか使えないのもしんどい。

ボブネミミッミも面白くない。

 

 

 

第二話

良かった。

OPがサイケデリックで良い。

原作改変要素がでてきて良い。

四コマ部門も動き、勢い、音が活かせてるのがでてきた気がする。

今週の声優方式が活きてきた。

ここで、ポプテピピックは声優を男にやらせたほうがいいと実感した。北斗の人(千葉繁さん)マジ面白い。

女が声優やると、無理してキツイ言葉使ってる感がでてしまって、パンチにかけるんですよ。イタい。オタサーの姫が「殺すよ?」みたいなこと言ってる感じ。

ボブネミミッミも、「もう見た」を畳み掛けるように使われてて面白かった。

ナレーションの現場写して、小芝居して、「お分かりいただけただろうか」も良かった。

 

次回も見ようと思った。

 

 

第三話

クソだった。(褒めてない)

プロフェッショナルで、ミニモニで、日馬富士で面白かった。

でも、その後がだめ。クローン量産っていうから、AKBに絡めるのかなと思ったら、ただのターミネーター的な展開を出すだけ。ベガとか、若本とかは特に笑えなかった。

フリーザ(中尾)とセル(若本)の声もただ使ったって感じ。

四コマももっと動きのあるネタ使ってほしい。アニメらしさをだしていけ。

肩がガコガコする

肩がガコガコする。

 

中学の時に、右肩が脱臼?みたいになったことがあり、それから右肩の違和感がずっと続いていた。

 

日常生活ぐらいなら大丈夫なんだけど、すこし重いものをもとうとすると、肩をすこし緊張させないと、肩がはずれてしまうかんじになる。

 

日常的に痛いわけじゃないので、病院で説明しても説明しづらく、どこにいってもだいたい治らなかった。

 

その肩を先日、運動中に痛めたので、接骨院にいったところ、結構話をきいてくれて、すこし期待できそうだった。

何やら、肩の筋肉のほうに問題があるらしい。筋肉には詳しくないのでよくわからなかったが、収縮しっぱなしの筋肉があったりで、うまく連動していないらしい。肩の骨がうまく回転してくれればいいのに、途中でひっかかったり、みたいなことが起こり、ガコガコしているのだという。

 

 

鍼治療と、電気をあてて、関節を動かし、マッサージをするといういつものメニュー。

首と肩のところに、刺しっぱなしの貼る鍼というものをさしてもらっている。

こういうのもあるんだ、へー。

 

そして、風呂上がりに以下のように肩を動かしてくれとのこと。

気をつけの姿勢から~

腕を前に上げる動き

腕を横に上げる

後ろにまわして首をさわろうとするような動き

前方で腕を円を描くようにグルグル

横で腕を円を描くようにグルグル

ラジオ体操の脇を伸ばす動き。

 

さっそくやってみよう。

タモリについて10分で書く

タモリ倶楽部が好きだ。もう、かれこれ8年ぐらい毎週欠かさず見ている。

というか、テレビで唯一見ているのがこれだけだ。

それ以外はもう、テレビは見なくなってしまった。

 

ニッチな内容を扱うという切り口が面白いし、空耳アワーは毎回安定して笑える。

そして、見てて疲れないのが良いところだと思う。

出演者の、世間を気遣ったような言説、小綺麗な言葉みたいなものもほとんど出てこない。

リラックスしてやっている雰囲気が好きだ。

 

鉄道会だけは、興味湧かないから楽しめないけれども。

 

 

タモリと戦後ニッポン (講談社現代新書)
 

 

タモリといえば、何年か前に終わった、笑っていいとも!が代名詞だった。

タモリに聞くところによると、長寿番組の秘訣は、やる気を出さない、反省しないだそうだ。

ルーティンと化したものは続くということかな。

応用できるんだか、できないんだか、困る内容である。

 

この本で気になったのが、いいとも!の毒という話だ。

 
いいとも!の毒

 

K.K. というアーティストは語る。

「なんというか、「笑っていいとも!」は、テレビというメディアがもってる退廃的な部分を集積しているような、瞬時に相手の思考を停止させるような信号を含んでいる感じ」

 

 

いいとも!に構成作家として参加した漫画家のタナカカツキは、ある企画の提案をして、ディレクターから

「お昼にしては刺激が強すぎる」

と言われたことがあるらしい。

 

「いいとも!は、昼食を食べながら見る番組なので、あまり企画が面白いと視聴者の箸が止まってしまう。だから、途中から見ても何をやっているのかわかるような単純明快なものがいい。」というのだ。

 

なるほどである。いいとも!は、じっくり見るようにつくられてはいない。

瞬時に相手の思考を停止させるような信号とは、そんな番組作りに由来するものといてよう。

 

 

こんなところが面白かった。

 

「なんて言ったらいいかわからないんだけれども~」に注目しよう

 話がちょっと変わるけれども、こんなことを思った。

 

ここで、K.K.さんは、「なんというか~、~な感じ」

という、すごく自分の中でも、言語化が難しいような感触を、なんとか言語化しようと頑張っている。

そして、作者は、他のエピソードを加えて補足する形で、この人の言わんとしていることを分かりやすいものにしている。

 

ここから自分が感じるのは、

本当に新規性のある話というのは、いつもフワフワしているものだ。

ということである。

 

「なんと言ったらいいか分からないんだけど、こんな感じなんだよ!」みたいな

聞き取りづらく、解釈しづらく、よくわからない話というのにこそ、未だに誰も気づいていなかったような新規性が、世界の新たな真実が宿っているんだと思う。

 

 

逆に言えば、はっきりと言語化されて、明言されるような話は、すでに古くて、新規性はないということだと思う。

はっきりと言い切る形で言葉にされているものというのは、断言調でテレビ受けはいいけれども、面白くない話が多い気がする。

 

 

シナリオ骨法十箇条

 

映画はやくざなり

映画はやくざなり

 

 

映画の脚本の作り方が載っている。

いざ、脚本を書くぞという段階になってつかうシナリオ骨法十箇条が以下だ。

 

 

「コロガリ」「カセ」「オタカラ」「カタキ」「サンボウ」

「ヤブレ」「オリン」「ヤマ」「オチ」「オダイモク」

 

 

脚本を作るのに利用するものなら、鑑賞でも使える。

見る専としては、よりよく映画を見るために利用させてもらおう。

 

 

最近、古い映画だけどトータル・リコールを見たので、それで考えてみたい。

あらすじはこちらを。

トータル・リコール - Wikipedia

 

 

 

1.コロガリ

「転がり」である。

英語で言えばサスペンス。

コトバンクによれば、「ストーリーの展開において、この先どうなるのかという不安感・危機感を与えることで、観客の興味をつなごうとする技巧。」

サスペンスとは - コトバンク

 

出だしが肝心で、まず観客の心を掴まなければならない。

そして、なんの話か、ということを端的に示唆しなければならない。

不自然な展開やご都合主義による話の運び、あるいは脇の筋に深入りした場合は、「コロガリが悪い」と評される。

立て板に水のように本筋だけが先へ先へと進んでしまうのは「コロガリ過ぎる」とクサれることになる。

 

これは、映画の全体的なシーンのつなげ方を語ったものとなる。

 

 

2.カセ

「枷」

主人公に背負わされた運命、宿命、といったものである。

主人公が立っている立場。主人公はどういう状況にあるかというもの。

 

トータル・リコールでは、

なぜか毎晩火星の悪夢を見る主人公。

記憶を植え付けられていた自分、身に覚えのない格闘術。

記憶の植え付けをされる自分とは、一体何者なのか?

これが主人公のカセである。

 

 

3.オタカラ

「お宝」

主人公にとって、なにものにも代え難く守るべき物(または、獲得すべき物)であり、主人公に対抗する側はそうさせじとする、葛藤の具体的な核のことである。

サッカーのボールを思えばいい。これが絶えず取ったり奪われたりすることで、多彩に錯綜するドラマの核心が簡潔明快に観客に理解される。とりわけアクション・ドラマの場合には「オタカラ」は必須である。

 

トータル・リコールでは、

主人公の、ウソ偽りのない本当の自分。本当の自分の記憶。

自分は何者なのか。その真実。

また、主人公が思い出せない、火星の秘密の記憶も。

これがオタカラとなる。

 

4.カタキ

「敵」

敵役のこと。

前条の「オタカラ」を奪おうとする側の者である。

ただし、一目見てすぐ<悪>だとわかるような「カタキ」は、現代劇では浮いてしまうだろう。内面的なこと、トラウマや劣等感、ファザー・コンプレックスなど、内部から主人公の心を侵害するものでも「カタキ」になりえる。

 

トータル・リコールでは、

主人公に偽の記憶を植え付けた、コーヘイゲン側の人間ということでいいだろう。

 

ちなみにラストでは、主人公クエイドは実はコーヘイゲン側の組織の一員だったということが明らかになる。ひねりが効いていて面白い。

 

 

5.サンボウ

「三方」

絵本太功記の明智光秀が信長を裏切る場面に由来する。

正念場のこと。主人公が運命(宿命)に立ち向かう決意を示す地点。

これがないと、そこから先のドラマは視界ゼロの飛行になって、どこに着くやら観客には見当がつかなくなってしまう。

これにより、複雑多彩に膨れたドラマの中心部で、ドラマがどちらを目指しているのかを観客に気づかせることができる。

 

トータル・リコールでは、

主人公ダグラスの(植え付けられた記憶上の)妻ローリーを射殺するシーンがこれにあたる。

これは夢だという妻の言葉を撥ねつける。過去への決別。

取り返しのつかない行動ともいえる。

 

6.ヤブレ

「破」

乱調。

どんなスーパーマンでも、一度は失敗やら機器やら落ち目に出くわさないと、観客からみて存在感が希薄になる。

失意の主人公がボロボロになるシーン。

 

トータル・リコールでは、思いっきり負けるシーンというのはなかった気がする。

しいてあげるなら、ローリーに手錠をかけられるシーンかと。

 

 

7.オリン

「バイオリン」

感動的な場面。

感動の場面にはバイオリンを使用した音楽がつきものということに由来。

感動的な場面のことを「オリンをコスる」と呼ぶ。

 

トータル・リコールでは、感動する場面というのもなかった気がする。

これもしいてあげるなら、反乱分子ミュータント側が、搾取されていたことを示すシーンか。

 

 

8.ヤマ

「山場」

ヤマ場、見せ場をいう。

 

トータル・リコールでは、

50万年前にエイリアンが作ったリアクターの起動に向かってから、リクター、コーヘイゲンとの死闘、起動させるまで。でいいだろう。

 

 

9.オチ

「落ち」

締めくくり、ラストシーン。

メロドラマなら、観客の予測と期待通りに終わって満足。

ミステリーなら、観客の予測に反しながらも、期待を満たして終了。

 

トータル・リコールでは、

リアクターを起動。火星は酸素に包まれた。

これも夢かもしれないといいつつ、主人公はメリーナとキスをして終了。

 

 

10.オダイモク

「お題目」

テーマである。

 

映画自体が悪いのか、自分の見方が悪かったのか、テーマがよくわからない映画というのもよくあるけれども、これが分かるとスッキリする。

 

トータル・リコールでは、

主人公ダグラス・クエイドが自分の植え付けられた記憶に気づき、本当の自分ハウザーを探す。

しかし、物語の終盤になって、ハウザーは実はコーヘイゲン側の組織の一員だったと知り、ハウザーに戻るのを拒否。

コーヘイゲン側にはつかず、火星反乱組織のダグラス・クエイドとして行動することを決める。

 

 

この映画では、「行動が全てだ」というようなセリフがどこかにあった気がする。

 

どれが夢か、どれが現実か、なんて関係ない。

過去に自分がどんな人間であったかも、関係ない。

今、ここにいる自分の、行動こそが自分である。

 

 

トータル・リコールにおけるテーマというのは、これだと思う。

なんか、アドラー心理学的な結論だ。

 

 

 

 

 

 

オタク学入門 (新潮文庫 (お-71-1))

オタク学入門 (新潮文庫 (お-71-1))

 

 

こちらには、ハリウッド映画の鑑賞法が載っている。

15分ごとに見ると話の伏線が分かるという。時間で分ける概念は使いやすい。

しかしながら、その意味付けが漠然としすぎていて、使いづらい。

 参考程度に載せる。

 

開始から~

 

10分: 主人公の満たされない状況・キッカケ

30分: 主人公をラストまで向かわせる動機づけ

45分: 状況の変化

60分: 転回点

75分: 引き返しのつかない行為

90分: クライマックスへの行動

ラスト