エヴァ考察、カヲル君はなぜ死んでしまうのか
知り合いに、「なんでカヲル君いつも死んでしまうん?」って言われました。アニメ版も漫画版も新劇場版も、どのルートでも死ぬのが悲しいらしいです。
そこで、考えました。
結論
シンジ君に友達殺しをさせたかったから。
説明
庵野さんはつくりたいシーンのためにストーリーをつくるようなところがあると思います。シーン優位型です。
今回の場合、とりたいシーンとは、友達殺しです。
シンジ君が友達を殺すシーンです。
しかし、アニメ版エヴァでは、制作上のタブーがあります。
それは、子供を殺してはいけないということです。
そのため、アニメ版のトウジは死んでいないのです。
カヲル君の登場前に、シンジ君はトウジの乗ったエヴァを殲滅し(ダミーシステムですが)、トウジに大怪我を負わせます。あれだけの大惨事にも関わらず死んでいないのはかなり不自然なことだと思います。
トウジの後、これだけでは足りないと感じた庵野さんは、発想を転換させます。
人間を殺してはいけない → 人間の形をした使徒ということにすればおk
という発想で、カヲル君は誕生します。
カヲル君の役割は、シンジ君の友達殺しの相手役なのです。
トウジ殺し未遂は、事件として物足りないところがあります。
・ダミーシステムによる不可抗力という言い訳が可能。(間接性)
・その結果、責任をゲンドウに押し付けて、エヴァには乗らないからな!プンスカ!という感情に走る。
・絶望感が足りないゆえ、エヴァにはもう乗りません!って宣言したにも関わらず、初号機のパイロットだからです!とかいって戻ってきてしまう。
その後、カヲルくん登場です。登場してすぐに、事件を起こして、殺されて物語から退場。殺されるために出てきたとしか思えません。しかし、目的がはっきりしているため、事件性が素晴らしいです。
・自分の手で絞め殺す、という直接性。(貞元版エヴァでは、シンジ君が生身でカヲルくんの首を締める絵が印象的です。)
・散々悩んだあげく、殺すことを選び、その後、後悔にさいなまれる。(責任が全てシンジ君にかかるため、逃げ場がありません。)
・その結果、その後自分の意思でエヴァに乗ることはありません。
このシーンをつくるため、カヲル君はつくられたのです。
QWD証明終了
余談
そもそも、カヲル君と綾波ってキャラかぶってますよね。
人間の形をした、人間でないもの、なんて一人で十分です。友達殺しのシーンのために、ここで少し無理をしてると思います。
カヲル「君は僕とおんなじだね」。綾波「違うわ」
とか言わせてるのも、作者が同じキャラと思わせたくないからです。
つまり、友達殺しの理由以外に、登場する必然性がないんです。