よいこの君主論
小学校の1クラスでの覇権争いを通して、マキャベリの君主論を学ぼうというもの。
笑えるわ、分かりやすいわで、めちゃめちゃ面白い。
備忘録として各章の教訓をまとめた。これだけ見ると堅苦しそうなことが書いてあるように見えるが、小学生を登場人物にするとユーモラスで分かりやすい。
学級委員は聖職者。帰りの会は裁判。男と女は異民族、ってなぐあい。
各章の教訓
- 君主政体のタイプ。新興君主、聖職者による君主制、世襲君主、他人の軍備に頼った君主。
- 世襲君主は最も統治が簡単。平民は自分たちの生活が変わらないことを願う。統治というものは必ず何か理由があってそのような形になっている。新しいことを始める時には必ず危険が伴う。新興君主は危険を乗り越えて統治形態を作り上げるところから始まる。世襲は受け継ぐだけ。
- 新しく獲得した領地の言語や風習が自分たちの領地と似ていれば統治は簡単になる。つまり、首のすげかえだけで済む。逆に、言語や風習、制度が違う異民族の統治は大変。その場合は君主が自ら新しい領地に移り住み、不平不満が起こった際に早急な対処を行う。また、制圧用の兵隊を送り込むこと。兵隊は維持費の観点から、正規の防衛軍よりも植民兵が望ましい。異文化を知ることも重要。
- 2つの統治方法。君主と雇われ君主型(明治政府)、こちらはトップと民衆のつながりが強い。君主と封建諸侯型(江戸将軍と大名)、こちらは封建諸侯と民衆のつながりが強い。
- 制度を新しくする場合、旧制度で旨い汁を吸ってたものは反対し、新制度で旨い汁を吸えるものも、猜疑心ゆえに賛同は弱い。人間は本性において移り気で、説得は簡単だが、それを信じさせておくのは難しい。反対している人に自分の言うことを信じさせるには力ずくしか方法はない。
- 実力でなく運命だけで君主となったものの困難は甚だしい。理由は他者に左右されてしまうことと、君主らしい行動が分からないこと、自分に忠実な部下がいないこと。
- 政権を奪い取るために必要な悪行を最初の一度だけまとめて行い、その後は極悪非道を用いずゆっくり恩恵を施すのが良い極悪非道。極悪非道を繰り返し用いるのは悪い極悪非道。君主は常に脅かす必要があるし、配下も安心できない。
- 平民の力は大きいので、平民を味方につけておこう。平民から選ばれた君主は、平民に自由を与えるだけで良いため、統治が楽。
- 籠城中は城壁の外に広がる平民どもの財産はすべて見捨てるべし。市民は勝手に君主との結びつきを強める
- 聖職者は、宗教的基盤というひっくり返しようのないものゆえに強い。
- 傭兵は役に立たない。僅かな給料のために命をかける傭兵はいない。八百長まであった。
- 援軍は第三者からくるものなので、腹に一物抱えている。差し向けた君主の命令一つあれば裏切るので、危険。
- 平和な時に戦争の準備をする。軍事訓練(兵士の統御)、狩猟と地形に詳しくなる、先人の行動を知る。
- 政権を失う怖れがあるほどの悪評は避ける、政権を失うほどではない悪評はやり過ごす、政権を守るために甘んじて受けなければならない悪評は怖れてはいけない。
- 美徳は必ずしも良い結果をもたらさない。人間は受けた恩義をあっという間に忘れる。気前が良いと思われるぐらいなら、ケチと蔑まれるほうがまし。
- 慕われるよりも、恐れられていたほうが安全。ギブアンドテイクの関係は、良い条件があれば簡単に裏切られる。怖れられるのは良いが、恨みは買わないようにしよう。
- 信義を守る必要はない。しかし、できるだけ正当な理由をつけて、自分が信義を裏切ったことを言い繕う努力はするべき。大衆は常に物事の外見と結果しか見ない。普段は美徳を身に着けているものとして行動し、必要な時は何の遠慮もなく悪徳を行うべし。
- 憎まれ役は他に押し付け(第三者の裁判機関など)、自分は人から感謝だけを受けるようにすべし。民衆からの人望を集めることは、反乱に対する抑止力になる。自分の立場を守るために必ず必要な味方勢力が腐敗したら、正すのではなく自ら腐敗に染まらなければならない。
- 新しい君主は、民衆を歩兵に仕立て上げるべし。民衆に戦闘力を持たせると、君主に信頼されていると感じさせることができる。しかし、新しく獲得した支配地の民衆は非武装にすべし。
- 配下を争わせる分断工作が有効なのは平和の時のみ。的であった人達が、護身のために君主に見を寄せてくる場合、よく働いてくれる。
- 中立を守るよりは、どちらの味方をするかハッキリ明言して戦いに参加した方が後々良い結果となる。こちらから同盟を組む場合、自分より強い者と組んで他者を攻めることはやめるべし。
- 自分の選んだ少数の賢者にだけ発言を許し、それ以外の意見は聞かないのが良い。
- 不測の事態への対応について。成功する経験則があっても、状況が変われば固執するべきではない。