プレステ3はなぜ失敗したのか?
プレステ3はなぜ失敗したのか?
プレステ3はなぜ失敗したのか? (晋遊舎ブラック新書 002)
- 作者: 多根清史
- 出版社/メーカー: 晋遊舎
- 発売日: 2007/09/10
- メディア: 新書
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スタートダッシュに失敗
プレステ3の発売初日の国内での出荷台数はわずかに8万台。前のプレステ2(約90万台)の十分の一以下となった。任天堂のWiiの類型販売台数が195万台なのに対して、プレステ3は81万台にとどまった。(2007年3月末のデータ)
発売日につまづいたゲーム機は、ほとんど例外なく「負け組」に転落する。例として、セガのドリームキャストをあげる。1998年にセガが発売したドリームキャストも発売日につまずいた。映像を表示するグラフィックチップの供給が追いつかなかったことが大きく影響し、思うように出荷本数をのばすことができなかった。
ゲームビジネスの勝ちパターンはこうだ。初めに赤字覚悟でもゲーム機の普及台数を伸ばす。分母となるハードの台数を増えれば、ソフトの売上が見込みやすくなり、ソフトメーカの参入が加速、ソフトが質・量ともに充実することで、ハードがまた売れる、というものである。ゲームビジネスはハードで稼ぐのではなく、ソフトで稼ぐものなのである。
結果、プレステ3はこのパターンに逆行してしまったことになる。
ゲーム機として本来不要なブルーレイ再生機能
プレステ2が売れた要因の一つとして、ゲーム機としてだけでなく、DVD再生機としての需要があった。このビジネスモデルが上手く行ったからなのか、プレステ3にはブルーレイ再生機の普及という役割を押し付けられていた。
ブルーレイの再生機能をつける上で問題になったのがAACSという技術。これは著作権を守るためのものである。しかし、映画会社との付き合いの結果、プレステ3を売る上でのボトルネックとなり、ゲーム機として高すぎる価格、発売日の延期、供給量が追いつかないという事態を引き起こした。
そもそもプレステ1が売れたのはなぜか
プレステ1発売当時、プレステ1の業界での強みは以下の点にあった。
- 当時主流のROMカードリッジに比べて、640MBの大容量データ。
- 製造原価、プレス代がROMカードリッジに比べて圧倒的に安い。
- プレステ1のアーキテクチャ(基本設計)が非常にシンプルで分かりやすかった。
以上の点がソフト制作のハードルを大きく下げ、大量のソフトが流通、ソフトが充実することになった。とにかく、ソフトの安さと作りやすさが、勝ちに大きく影響した。
ちなみにプレステ2ではハードの性能が向上した。しかし、ハードの性能をフルに引き出すのが難しいそうで、ソフトの作りやすさという面では、プレステ1に比べるとかなり作りにくいものとなっていたようである。(それでも売れたけど)
CELL構想という絵に描いた餅
ゲーム機の性能をプレステ2以上に向上させるために、ソニーが考えたのが分散コンピューティングというアイデアだった。簡単にいえば世界中のインターネットに繋がったCELL同士が互いに連絡を取り合って協力し、処理を分散し、難しい処理を行うというもの。これはCELLを載せた機器が普及していればしているほど、大きな効果を生むことになる。ソニーはまずプレステ3にCELLを載っけて普及させ、次にCELLを搭載した家電を送り込む予定だった。
しかし、CELLが大きな消費電力を食う。また、家電についてはCELLを載せることにたいしたメリットがないことで、この計画は頓挫したという。
コレに関しては、本気で考えてたのか?とすら思いたくなるレベル。