サルが食いかけでエサを捨てる理由
印象に残ったところまとめ。
・レーシングカーと乗用車
例えるなら、ネコはレーシングカー、イヌは乗用車だという。
ネコは単独で狩りをするタイプである。
脊髄を切断するのに特化した牙の形と間隔。獲物を押さえ込むための鋭い鉤爪。鉤爪を収納できる鞘のような仕組みをもっている。狩りの際、瞬発力を重視した構造。
イヌは集団で狩りをするタイプである。長距離をゆっくり走るのに適した足。集団で生活するために発達した脳をもち、社会性を発揮できる。
例えるなら、ネコはレーシングカー。目的に対して究極の肉体構造を持ったタイプ。
イヌは乗用車。荷物も運べる、人も運べる、旅行もできて、レースもできないことはない(負けるけど)。汎用性が高い構造である。
また、昆虫で例えたら、カマキリとアリだとか。
・人間は、なぜ体毛が薄いか
「渚原人説」というのが興味深い。
人間の祖先は水辺に棲んでいたサルで、敵に狙われたときに水に逃げ込み、息を吸うために頭だけ出してやり過ごしていたというもの。こう考えると、様々な人間の特徴が説明できる。
まず、海水の浮力に助けられ、直立姿勢をとりやすくなる。そのまま砂浜に戻ってくれば直立歩行の出来上がり。直立姿勢をとることになって、脳が大きくなっても支えられる背骨が発達した。両手が自由になり、いろんないたずらができるようになった。
水の中で直立した場合は、子供におっぱいをあげていたメスは、子供に息をさせるために、高い位置に持ち上げなければいけない。すると胸以下のおっぱいは無駄になり、いちばん上のおっぱいだけが残った。
水に入ると毛は邪魔になり、呼吸をするために水面から出していた頭だけを残して、ほかはつるつるになった。毛は虫がついたりするため、水辺で暮らすなら、ないほうがいい。
そして、根拠として、人間は陸上で暮らす他の生物に比べ、非常に塩分に強いという性質がある。これは水辺にすむ生物ゆえではないのか。
また、道具を発明していない段階の人間が、鳥や、木の上の獲物、走り回る生き物を獲るのは無理だったんじゃないかと考える。すると、人間が素手で獲れるノロマないきものは、カニとか貝で、これをたんぱく源としてとっていたという。
・かわいさの法則
哺乳類に、かわいさの法則というものがある。
たとえば、二頭身や三頭身でまあるい頭。丸くて大きな、離れた目。武器としての、牙や爪が未発達。運動能力の低さを示す、たどたどしい動き方。
つまり、「自分は無力ですよ」ということをしめす。
こういうものを、哺乳類は「かわいい」と感じるようにできていて、親は子供を守るし、子供は親に守らせ、育てさせるという戦略をとっているという。
逆に、そういう法則が必要ない生物もいる。生まれてすぐに親から独立する、親が育てる必要のない生き物。例えば爬虫類、魚類、昆虫など。生まれたらあとはほったらかしなので、親が「かわいいな」と思う必要がないため、そのように生まれてくるのだそうだ。
そして、親が「かわいいな」と思いながら育てられる生き物は、高等な社会生活を営んでいる種族である。つまり、子供時代に、本能以外でいきていかなければいけない、その動物の世の中のしくみを、親から学ばなければいけないからだという。高等な社会で生きるためのトレーニング期間として、子ども時代があるということ。
・家畜になることで、種が存続できる。
人間の価値観から見れば、食べられるだけの牛や豚は、お気の毒というほかない。
しかしこれを、牛や豚は人間が守っているから、今も絶滅を免れているというふうに考える。つまり、牛や豚は人間に家畜化されることによって、「種全体の存続」を保証されているわけである。人間を利用しているともいえる。
例えば、インドネシアのスラベシ島に、バビルサという豚の祖先に近いイノシシの一種がいるが、これは絶滅しかかっている。なぜ絶滅しかかっているかといったら、豚にならなかったのがいけなかったのだ。牙を突き出して、人間になつかなかったために、絶滅の道をたどっているのだ。
絶滅のリスクを背負ってまで、野生にとどまり人間と拮抗するか、個体は人間にくわれても種全体を絶滅から守ってもらうか。要は種全体として存続すれば、その動物種は成功なのだという。
ここには個人主義といった考えはなくて、種全体で存続するという考え方が貫かれている。すごい考え方だと思う。