南瓜とマヨネーズ
この記事は、管理人の独断と偏見でお送りします。
クソ映画です。
くっそつまらんです。意味が分かりません。
なんかオサレな感じの画を撮って、話のテーマはぼやぼやっとさせて、
何が言いたいんだかわからないストーリーに、体売って辛いアタシ!恋愛に傷つくアタシ!セツナイ恋!みたいなトッピングをのせる。
こういう映画が僕は大嫌いです。
くっそ雑な映画版あらすじ
夢追いバンドマン男の彼女ツチダが、金のために売春して、昔好きだったオラオラ系な男と浮気して、両方に逃げられて、私辛いですー って話。
何が言いたいんだかわからない映画。
売春とか扱ってるくせに、濡れ場もない。大体の表現は事後。
まごうことなきクソ映画だと思います。
一方、こちらは漫画版。作者は魚喃キリコ。
漫画版は、好きじゃないけど、ちゃんと読めます。
漫画版あらすじ。
主人公女ツチダ は 音楽でプロを目指すせいちゃん と一年半同棲中。
せいちゃんはヒモ状態。二人の関係はなんとなく付き合っている という感じ。
でも、実はツチダは燃えるような恋がしたくて、昔好きだった男ハギオに未練タラタラ。ハギオとは過去に子供ができて、堕ろしたという経験がある。
生活が苦しいので、ツチダは水商売と売春に手を出す。
せいちゃんに売春がバレる、未熟な精神、すれ違いもあり、関係悪化。
この心のスキマができたところで、ツチダはハギオと再開。浮気をする。
浮気がバレたわけではないが、ツチダはせいちゃんから別れを切り出される。
ツチダはハギオとデートを重ねる。
ところで、同じ水商売やってるリカっていう女の子がいて、この子が昔のハギオの彼氏ということが発覚。
「平気で貢がせる男となんか別れたほうがいいよ」というリカの助言は、ハギオとの実体験が元になっていたのだった。
ここでようやくツチダはハギオのクズ男っぷり幻滅し、別れを切り出す。
その後、ツチダは久しぶりにせいちゃんと再開。せいちゃん、せいちゃんとの生活をあらためて良いものと感じるのであった。
せいちゃん良い奴なんですよね。
彼女に無理をさせてると気づいたら仕事をはじめるし、やっぱり音楽がやりたいと思ったら、お互いのためにと男女関係を終わらせる。責任感ある良い奴。
燃えるような恋に憧れるのはよくあるんだけど、それは短期的に終わってしまうよ。
刺激が少ないと感じても、長く付き合うことができる関係っていうのは良いものだよ。
ありふれたもののように感じる日常は、とても素敵なものなんだよ。
という話として捉えていいと思います。
結局「南瓜とマヨネーズ」ってどういう意味?
色んな人が解釈しようと頑張っているけど、これといったものを見いだせない。
さらーっと見た感じ、この記事が一番頑張ってるけど、深読みしすぎじゃない?という感じがしてしまう。
僕も考えてみました。
誰もが「南瓜とマヨネーズ」という組み合わせに、ピンとくる意味というのを見いだせない。
さんまに大根おろし! だったら、最高の組み合わせ!って思いますよ。
白いご飯に苺ジャム! だったら、最悪の組み合わせ・・・って思いますよ。
でも、南瓜とマヨネーズ にどんな感想抱けっていうんですか。
しいていえば、かぼちゃサラダになるかなぁー、ぐらいの感想しか抱けない。
実はこう思わせること、それこそが狙いで、つまるところ・・・
可もなく不可もない組み合わせってことだと思うんですよ。
平凡な組み合わせ。なんでもない組み合わせ。
相性バツグンってわけでもないけど、まぁそれなりに食べれるんじゃない?ってぐらいの組み合わせ。
そして、平凡さにこそ幸せはやどる。
こう考えれば、漫画版のラストの主題にうまくつながります。
漫画版だと、話はこの言葉で終わります。
わたしたちの この ありふれた平凡は
本当はとてもこわれやすくて なくさないことは奇跡
わたしたちの生活 毎日 日常
せいちゃんが笑っているということ あたしが笑っているということ
この物語のテーマは、思い切ってまとめればこうです。
何でもないようなことが、幸せだったと思う。
私は、南瓜とマヨネーズを虎舞竜型の話と分類して、満足しました。