あなたの勉強法はどこがいけないのか?
あなたの勉強法はどこがいけないのか?
という本を読んだ。
あなたの勉強法はどこがいけないのか? (ちくまプリマー新書)
- 作者: 西林克彦
- 出版社/メーカー: 筑摩書房
- 発売日: 2009/03/01
- メディア: 新書
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作者は宮教大の教育学部教授だけあって、すごく分かりやすく、人間の認知について教えてくれる。
「できない」はかなりの程度思い込みのせい。
車のウィンカーがつかなくなりました。修理してください。
こういうふうに言われると、「車のことは分からない」というふうに答えてしまう人というのは多いのだという。自分もすぐにそう即答してしまいそうだ。
しかし、修理というと大げさに聞こえるが、単に電球を交換するだけで直ってしまうこともある。もし電球を交換しても点かなかったら、じゃあ内部のコードの接触異常であるとか、電球以外のところに異常が起きているというふうに問題の切り分けができる。
このように我々には思った以上の知識というものは蓄積されていて、やってみると案外できてしまうということが結構多いのだという。
人間は経験したことがないことに、必要以上に尻込みしてしまう。
筆者はこれは、
自分が「できない」という事実に直面するのが嫌
という心理が働いているからだという。
「できない」というのは、必要以上に思考にブレーキをかけている状態。結構思い当たることが多くて、納得してしまった。
「応用力」などというものは存在しない
小中学校のとき、四則演算の算数の単純な計算問題はできるのだが、文章問題になるととたんにできなくなるという子供は多かった。
そういう子供について、応用力が足りないというふうに言い切られることが多いが、筆者は本当にそうだろうかと疑問を投げかけ、次のように語っている。
応用力というものは存在せず、ただ単に知識の使い方という補助知識が足りないのである。
補助知識というのは先ほどの例でいえば、文章題における数字を公式に当てはめるという知識のことである。文章題が解けないのは決して自頭が悪いからではなく、単にその使い方という知識が足りてないからというのである。
こういうふうに言い切られてみると、かなりスッキリするのである。
確かに、練習問題をいくつも解いていくうちに、応用力という得体のしれないものが磨かれていくというふうに考えるよりも、補助知識が増えているというふうに考えたほうが、定量的にものごとを扱えていて、実態に近いのではないかと感じる。
人間の認知機能はパターン学習に基づいていると思っているので、そういう視点でもうまく当てはまっていると感じる。
素質について
素質とか、才能というものは、僕は存在するものだと思う。
僕はピンポンという漫画は、才能論にはっきりとした主張をした漫画だと思っている。
それをふまえて。
では素質というものがあるなら、いろんなスポーツとか芸術の分野から自分に素質があるものを選んで、それを極めればいいじゃん!!というふうに思考はいきつくと思う。
しかし、そううまくはいかないよ。という話。
筆者は能力について、いかのようなモデルを提案する。
能力 = 素質 × 勉強
つまり、いくら素質があったとしても、勉強をある程度しないと能力は顕在化してこないということであり、勉強には時間がかかるため、能力が一朝一夕に取得できるものではないということである。
自分に素質があるかないかは、ある程度その分野のことをやってみないとわからないということである。
だから、何かの素質が自分にはあるのだと思い続け、それを見つけようと躍起になるのも、あまりいい方法ではないということである。
これまた、耳の痛い話である。
これは「理解のしかたで使え方が異なる」という話の例としてあげられているのだけれど、面白かった。
割り算は 分ける ことではない
割り算は 分けるという操作を通して、「1あたりの量」を求めるという計算である。
長さ0.4mの金属棒があります。重さは16kgです。1mで何kgですか?
というふうに少数がでてくると、分けるという操作では、もうお手上げになる。
そうではなくて初めから、 1あたりの量を求める 計算という風に考えれば、ここをクリアできる。
利息 ÷ 利率 = 元金
という、なにがなんだか分からない計算も。
「利率が1だったときの利息は?」 というふうにかんがえられて、利率が1なら、元金と同じ額が利息としてつくはずだというふうに考えることができて、これもクリアできる。
ヒット数 ÷ 打率 = 打数
これも。「打率が1だったときのヒット数は?」ということになり、全打席ヒットを打ったら、ヒット数 = 打数 だということになる。
目からうろこだった。
他にも・・・
知識は、適用範囲が広がるように修正していく必要がある。
現実をとらえるのが知識の役割であり、使えない知識は意味がない。
という主張はかなり好きだ。