小学生並みの日記

肩肘張らずに語ろう

メリットの法則ー行動分析学

 

メリットの法則――行動分析学・実践編 (集英社新書)

メリットの法則――行動分析学・実践編 (集英社新書)

 

行動分析学というものを解説した本。

動物・人間の行動は、すごく単純な原理から説明できてしまうと主張する。

実例をあげて解説してくれているため、すごくわかりやすい。

そして、ものすごい応用範囲を感じる。 

 

行動分析学によって、例えば、以下のようなことも説明できてしまう。

・ダイエットがなぜ難しいのか。

リストカットしたくなるのはなぜか。

不登校がなぜ起こるのか。どうやれば治せるのか。

・お店がなぜポイントカードを作らせたがるのか(トークンエコノミー法)

 

 

ついつい我々は、リストカットとか不登校を心の問題と考えてしまう。

そして散々悩んだ挙句、問題の解決に結びつけることができない。

この本は、そういった問題にわかりやすい処方箋をくれる。

あまりにもスッキリとした解答を与えてくれるもんだから、感動すら覚える。

すごいよこれ!!!

 

 

基本の4つの行動原理

「好子」出現の強化(行動の前後で、良い物が増えれば、その行動をしたくなる。)

嫌子」消失の強化(行動の前後で、悪い物が減れば、その行動をしたくなる。)

嫌子」出現の弱化(行動の前後で、悪い物が増えれば、その行動をしたくなくなる。)

「好子」消失の弱化(行動の前後で、良い物が減れば、その行動をしたくなくなる。)

 

 

行動分析学では、「どんな行動をとったか(what)」ではなく、

「行動がどのように機能するか(how)」に注目する。

行動の機能4つ

・物や活動が得られる(好子の出現)

・注目が得られる(好子の出現)

・逃避・回避できる(嫌子の消失)

・感覚が得られる(好子の出現)

 

こういう、単純な原理から人間の行動を説明するという本をずっと待ってた気がする。

自分の行動にも、他人の行動にも、どんどん応用してみたいと思った。

 

最近のポプテピピック

ch.nicovideo.jp

 

第一話

クソだと思った。(褒めてない)

普通に四コマをそのままアニメにしてもつまらんですし。

星色ガールドロップから~私だよ!は完全にお約束になってしまっているからか面白くなかった。

「私だよ!」の布石としてOP頑張った割に一回しか使えないのもしんどい。

ボブネミミッミも面白くない。

 

 

 

第二話

良かった。

OPがサイケデリックで良い。

原作改変要素がでてきて良い。

四コマ部門も動き、勢い、音が活かせてるのがでてきた気がする。

今週の声優方式が活きてきた。

ここで、ポプテピピックは声優を男にやらせたほうがいいと実感した。北斗の人(千葉繁さん)マジ面白い。

女が声優やると、無理してキツイ言葉使ってる感がでてしまって、パンチにかけるんですよ。イタい。オタサーの姫が「殺すよ?」みたいなこと言ってる感じ。

ボブネミミッミも、「もう見た」を畳み掛けるように使われてて面白かった。

ナレーションの現場写して、小芝居して、「お分かりいただけただろうか」も良かった。

 

次回も見ようと思った。

 

 

第三話

クソだった。(褒めてない)

プロフェッショナルで、ミニモニで、日馬富士で面白かった。

でも、その後がだめ。クローン量産っていうから、AKBに絡めるのかなと思ったら、ただのターミネーター的な展開を出すだけ。ベガとか、若本とかは特に笑えなかった。

フリーザ(中尾)とセル(若本)の声もただ使ったって感じ。

四コマももっと動きのあるネタ使ってほしい。アニメらしさをだしていけ。

肩がガコガコする

肩がガコガコする。

 

中学の時に、右肩が脱臼?みたいになったことがあり、それから右肩の違和感がずっと続いていた。

 

日常生活ぐらいなら大丈夫なんだけど、すこし重いものをもとうとすると、肩をすこし緊張させないと、肩がはずれてしまうかんじになる。

 

日常的に痛いわけじゃないので、病院で説明しても説明しづらく、どこにいってもだいたい治らなかった。

 

その肩を先日、運動中に痛めたので、接骨院にいったところ、結構話をきいてくれて、すこし期待できそうだった。

何やら、肩の筋肉のほうに問題があるらしい。筋肉には詳しくないのでよくわからなかったが、収縮しっぱなしの筋肉があったりで、うまく連動していないらしい。肩の骨がうまく回転してくれればいいのに、途中でひっかかったり、みたいなことが起こり、ガコガコしているのだという。

 

 

鍼治療と、電気をあてて、関節を動かし、マッサージをするといういつものメニュー。

首と肩のところに、刺しっぱなしの貼る鍼というものをさしてもらっている。

こういうのもあるんだ、へー。

 

そして、風呂上がりに以下のように肩を動かしてくれとのこと。

気をつけの姿勢から~

腕を前に上げる動き

腕を横に上げる

後ろにまわして首をさわろうとするような動き

前方で腕を円を描くようにグルグル

横で腕を円を描くようにグルグル

ラジオ体操の脇を伸ばす動き。

 

さっそくやってみよう。

タモリについて10分で書く

タモリ倶楽部が好きだ。もう、かれこれ8年ぐらい毎週欠かさず見ている。

というか、テレビで唯一見ているのがこれだけだ。

それ以外はもう、テレビは見なくなってしまった。

 

ニッチな内容を扱うという切り口が面白いし、空耳アワーは毎回安定して笑える。

そして、見てて疲れないのが良いところだと思う。

出演者の、世間を気遣ったような言説、小綺麗な言葉みたいなものもほとんど出てこない。

リラックスしてやっている雰囲気が好きだ。

 

鉄道会だけは、興味湧かないから楽しめないけれども。

 

 

タモリと戦後ニッポン (講談社現代新書)
 

 

タモリといえば、何年か前に終わった、笑っていいとも!が代名詞だった。

タモリに聞くところによると、長寿番組の秘訣は、やる気を出さない、反省しないだそうだ。

ルーティンと化したものは続くということかな。

応用できるんだか、できないんだか、困る内容である。

 

この本で気になったのが、いいとも!の毒という話だ。

 
いいとも!の毒

 

K.K. というアーティストは語る。

「なんというか、「笑っていいとも!」は、テレビというメディアがもってる退廃的な部分を集積しているような、瞬時に相手の思考を停止させるような信号を含んでいる感じ」

 

 

いいとも!に構成作家として参加した漫画家のタナカカツキは、ある企画の提案をして、ディレクターから

「お昼にしては刺激が強すぎる」

と言われたことがあるらしい。

 

「いいとも!は、昼食を食べながら見る番組なので、あまり企画が面白いと視聴者の箸が止まってしまう。だから、途中から見ても何をやっているのかわかるような単純明快なものがいい。」というのだ。

 

なるほどである。いいとも!は、じっくり見るようにつくられてはいない。

瞬時に相手の思考を停止させるような信号とは、そんな番組作りに由来するものといてよう。

 

 

こんなところが面白かった。

 

「なんて言ったらいいかわからないんだけれども~」に注目しよう

 話がちょっと変わるけれども、こんなことを思った。

 

ここで、K.K.さんは、「なんというか~、~な感じ」

という、すごく自分の中でも、言語化が難しいような感触を、なんとか言語化しようと頑張っている。

そして、作者は、他のエピソードを加えて補足する形で、この人の言わんとしていることを分かりやすいものにしている。

 

ここから自分が感じるのは、

本当に新規性のある話というのは、いつもフワフワしているものだ。

ということである。

 

「なんと言ったらいいか分からないんだけど、こんな感じなんだよ!」みたいな

聞き取りづらく、解釈しづらく、よくわからない話というのにこそ、未だに誰も気づいていなかったような新規性が、世界の新たな真実が宿っているんだと思う。

 

 

逆に言えば、はっきりと言語化されて、明言されるような話は、すでに古くて、新規性はないということだと思う。

はっきりと言い切る形で言葉にされているものというのは、断言調でテレビ受けはいいけれども、面白くない話が多い気がする。

 

 

シナリオ骨法十箇条

 

映画はやくざなり

映画はやくざなり

 

 

映画の脚本の作り方が載っている。

いざ、脚本を書くぞという段階になってつかうシナリオ骨法十箇条が以下だ。

 

 

「コロガリ」「カセ」「オタカラ」「カタキ」「サンボウ」

「ヤブレ」「オリン」「ヤマ」「オチ」「オダイモク」

 

 

脚本を作るのに利用するものなら、鑑賞でも使える。

見る専としては、よりよく映画を見るために利用させてもらおう。

 

 

最近、古い映画だけどトータル・リコールを見たので、それで考えてみたい。

あらすじはこちらを。

トータル・リコール - Wikipedia

 

 

 

1.コロガリ

「転がり」である。

英語で言えばサスペンス。

コトバンクによれば、「ストーリーの展開において、この先どうなるのかという不安感・危機感を与えることで、観客の興味をつなごうとする技巧。」

サスペンスとは - コトバンク

 

出だしが肝心で、まず観客の心を掴まなければならない。

そして、なんの話か、ということを端的に示唆しなければならない。

不自然な展開やご都合主義による話の運び、あるいは脇の筋に深入りした場合は、「コロガリが悪い」と評される。

立て板に水のように本筋だけが先へ先へと進んでしまうのは「コロガリ過ぎる」とクサれることになる。

 

これは、映画の全体的なシーンのつなげ方を語ったものとなる。

 

 

2.カセ

「枷」

主人公に背負わされた運命、宿命、といったものである。

主人公が立っている立場。主人公はどういう状況にあるかというもの。

 

トータル・リコールでは、

なぜか毎晩火星の悪夢を見る主人公。

記憶を植え付けられていた自分、身に覚えのない格闘術。

記憶の植え付けをされる自分とは、一体何者なのか?

これが主人公のカセである。

 

 

3.オタカラ

「お宝」

主人公にとって、なにものにも代え難く守るべき物(または、獲得すべき物)であり、主人公に対抗する側はそうさせじとする、葛藤の具体的な核のことである。

サッカーのボールを思えばいい。これが絶えず取ったり奪われたりすることで、多彩に錯綜するドラマの核心が簡潔明快に観客に理解される。とりわけアクション・ドラマの場合には「オタカラ」は必須である。

 

トータル・リコールでは、

主人公の、ウソ偽りのない本当の自分。本当の自分の記憶。

自分は何者なのか。その真実。

また、主人公が思い出せない、火星の秘密の記憶も。

これがオタカラとなる。

 

4.カタキ

「敵」

敵役のこと。

前条の「オタカラ」を奪おうとする側の者である。

ただし、一目見てすぐ<悪>だとわかるような「カタキ」は、現代劇では浮いてしまうだろう。内面的なこと、トラウマや劣等感、ファザー・コンプレックスなど、内部から主人公の心を侵害するものでも「カタキ」になりえる。

 

トータル・リコールでは、

主人公に偽の記憶を植え付けた、コーヘイゲン側の人間ということでいいだろう。

 

ちなみにラストでは、主人公クエイドは実はコーヘイゲン側の組織の一員だったということが明らかになる。ひねりが効いていて面白い。

 

 

5.サンボウ

「三方」

絵本太功記の明智光秀が信長を裏切る場面に由来する。

正念場のこと。主人公が運命(宿命)に立ち向かう決意を示す地点。

これがないと、そこから先のドラマは視界ゼロの飛行になって、どこに着くやら観客には見当がつかなくなってしまう。

これにより、複雑多彩に膨れたドラマの中心部で、ドラマがどちらを目指しているのかを観客に気づかせることができる。

 

トータル・リコールでは、

主人公ダグラスの(植え付けられた記憶上の)妻ローリーを射殺するシーンがこれにあたる。

これは夢だという妻の言葉を撥ねつける。過去への決別。

取り返しのつかない行動ともいえる。

 

6.ヤブレ

「破」

乱調。

どんなスーパーマンでも、一度は失敗やら機器やら落ち目に出くわさないと、観客からみて存在感が希薄になる。

失意の主人公がボロボロになるシーン。

 

トータル・リコールでは、思いっきり負けるシーンというのはなかった気がする。

しいてあげるなら、ローリーに手錠をかけられるシーンかと。

 

 

7.オリン

「バイオリン」

感動的な場面。

感動の場面にはバイオリンを使用した音楽がつきものということに由来。

感動的な場面のことを「オリンをコスる」と呼ぶ。

 

トータル・リコールでは、感動する場面というのもなかった気がする。

これもしいてあげるなら、反乱分子ミュータント側が、搾取されていたことを示すシーンか。

 

 

8.ヤマ

「山場」

ヤマ場、見せ場をいう。

 

トータル・リコールでは、

50万年前にエイリアンが作ったリアクターの起動に向かってから、リクター、コーヘイゲンとの死闘、起動させるまで。でいいだろう。

 

 

9.オチ

「落ち」

締めくくり、ラストシーン。

メロドラマなら、観客の予測と期待通りに終わって満足。

ミステリーなら、観客の予測に反しながらも、期待を満たして終了。

 

トータル・リコールでは、

リアクターを起動。火星は酸素に包まれた。

これも夢かもしれないといいつつ、主人公はメリーナとキスをして終了。

 

 

10.オダイモク

「お題目」

テーマである。

 

映画自体が悪いのか、自分の見方が悪かったのか、テーマがよくわからない映画というのもよくあるけれども、これが分かるとスッキリする。

 

トータル・リコールでは、

主人公ダグラス・クエイドが自分の植え付けられた記憶に気づき、本当の自分ハウザーを探す。

しかし、物語の終盤になって、ハウザーは実はコーヘイゲン側の組織の一員だったと知り、ハウザーに戻るのを拒否。

コーヘイゲン側にはつかず、火星反乱組織のダグラス・クエイドとして行動することを決める。

 

 

この映画では、「行動が全てだ」というようなセリフがどこかにあった気がする。

 

どれが夢か、どれが現実か、なんて関係ない。

過去に自分がどんな人間であったかも、関係ない。

今、ここにいる自分の、行動こそが自分である。

 

 

トータル・リコールにおけるテーマというのは、これだと思う。

なんか、アドラー心理学的な結論だ。

 

 

 

 

 

 

オタク学入門 (新潮文庫 (お-71-1))

オタク学入門 (新潮文庫 (お-71-1))

 

 

こちらには、ハリウッド映画の鑑賞法が載っている。

15分ごとに見ると話の伏線が分かるという。時間で分ける概念は使いやすい。

しかしながら、その意味付けが漠然としすぎていて、使いづらい。

 参考程度に載せる。

 

開始から~

 

10分: 主人公の満たされない状況・キッカケ

30分: 主人公をラストまで向かわせる動機づけ

45分: 状況の変化

60分: 転回点

75分: 引き返しのつかない行為

90分: クライマックスへの行動

ラスト

マニフェストを見て投票するのはコスパが悪い

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選挙が近づいている。

 

 

「しっかりと各政党のマニフェストをみて、大切な一票を投じないとダメだ!」

 真面目な人は真顔でこんなことを言うが、どうかと思う。

 

 

確かに選挙権というものは、国民主権という御旗の下に考えられた、歴史的にみても非常に大切なものだ。

 

しかし、しかしである。

 

 

僕達は、自分の一票の軽さを認識しないといけない。

自分の一票の影響力は実に微々たるものだ。

具体的に言うと、うちの区の一票の価値は38万分の1だ。

 

軽い、軽すぎる。

 

さらに言えば、頭のいい人の一票も、バカの一票も、同じ一票だ。

どんなに時間をかけて考えて練りに練った一票も、バカがサイコロで選んだ一票と同価値だ。

 

 

こんな軽い一票のために、2~3時間も各政党のことを調べるのは、大きな時間の無駄だと思う。

 

また、いざ調べるとなっても、マニフェストにも問題がある。

マニフェストはあてにならない。

2009年~の民主党政権時代、民主党は掲げたマニフェストのほとんど全てを実現できなかった。

それ以来、マニフェストの実現可能性などどうでもよいのだと、政治家は考えるようになった。

実現しなくてもいいマニフェストなど、参考になるわけがない。

 

 

社会が自分の思う通りに動いてほしいと思うのならば、自分の投票にではなく、社会に自分の考えを述べて世論を誘導することに重点をおくべきである。

手軽に行動を起こしたいという人は、ブログやツイッターなどで周りに影響を与えて、人を動かしたほうが、よほど効率がいい。

 

各政党を調べることに大量の時間をさくことは、票として10倍以上のレバレッジを効かせてあげて初めて、費用対効果が釣り合ってくると思う。

 

 

それ以外の、選挙に対してそれほどの興味もなく、行動する気もなく、自分の一票を行使するだけで十分と考えている人は、そこまでの行動を起こさなくていいと思う。

 

 

マニフェストを勝手に見て、持論を述べてくれる人の意見を参考に、一票を投じればいい。

それぐらいで十分だ。

 

最近のボウリングで気づいたこと

 

ポケットにいれろというが・・・

通常、1番ピンと3番ピンの間のポケットに投げるのがセオリーだが。ポケットの狙い方にも、薄めと厚めがあることに気づいた。

1番ピンにボールを薄く当てると、ボールが大きく弾かれてしまい、倒れる本数が少なくなり、結果スプリットとして残るようなケースが多かった。

むしろ、1番ピンに厚めにボールをいれたほうが、9ピン以上倒れることが多かった。

また、1番ピンと2番ピンの間のポケットに入っても、ピンが多く倒れてくれる感じがした。

 

ちなみに、10ポンドの軽いボールを使っていること、球速が20km/hも出てないことも、倒れない原因としてあるかもしれない。

 

 

 

誤差に強い狙い方

思った通りの方向から、多少ずれても、許容範囲に収まる投げ方が良いと思った。

つまり、誤差に強い狙い方を目指すということ。

 

具体的には、

スパットは2.5スパットを狙う のが現時点でのベストだと思った。

少し左にいって、3番スパットを通っても、ギリギリ1番ピンの左側に当たる。

少し右にいって、2番スパットを通っても、ギリギリ1番ピンの右側に当たる。

 

安定感をだすなら、こういう考え方もありだなと感じた。