映画版ナウシカまとめ
ざっくりした内容を自分用にまとめ。
登場国
風の谷
うち平和だからさ、揉め事持ち込まないでくれよな、頼むよ~
ペジテ
巨神兵の産出国。
巨神兵を持つことは危ないんだ!
だから、巨神兵は国ごと破壊したほうがいいんだ!
トルメキア
軍事大国。トルメキア イズ ナンバーワン!
武力では絶対負けたくないぞ!
腐海の理解
一般認識
やべえから、焼こう!
風の谷の認識
焼くと蟲達怒るから、そっとしとこう!
きれいな水と土で育つと瘴気出さないんだ!腐海には何か意味があるに違いない。
腐海の底に落下後
腐海は世界の浄化装置だったんだ!
ストーリー
トルメキアがペジテの巨神兵強奪。運ぶ途中、風の谷に墜落。
トルメキア「巨神兵運ぶの無理だわ。ここ(風の谷)を本拠地とする!」
トルメキアwithナウシカ、お出かけ中にペジテに撃墜される。腐海に落下。
ペジテは蟲に襲われ壊滅。
ペジテ「巨神兵危ないから、風の谷ごと滅ぼすンゴ。」
ナウシカ「人類身勝手すぎワロタ。」
巨神兵腐る。
クシャナ「あ、これ無理だわ」
井上陽水語録でナンパができることが判明
第一幕
探しものはなんですか? ←つかみはオッケー
見つけにくいものですか?
カバンの中も、机の中も
探したけれど見つからないのに
まだまだ探す気ですか?
それより僕と踊りませんか? ←気の利いた誘いゼリフ
夢の中へ 夢の中へ
行ってみたいと思いませんか? ←ダメ押し
ウフッフー ←成功
流れから察するに、物を探してる歌じゃないんですよね。
自分探しとか、分かんないけど大事な何かに巡り合うのを求めているみたいな感じがします。
もっと言ってしまえば、僕みたいな人を探してたんじゃないですか?ぐらいのノリが伝わってくるので、ナンパと捉えると割りとしっくりきて面白いです。
第二幕
休むことも許されず ←唐突なワード
笑うことは止められて ←社会への不適応、現代社会の閉塞感
はいつくばって はいつくばって ←つらみを感じる
いったい何を探しているのか ←問題提起
探すのをやめたとき
見つかることもよくある話で ← あるあるネタ & 気分転換の提案
踊りましょう 夢の中へ ← ナンパ
行ってみたいと思いませんか? ← ダメ押し
ウフッフー ← 成功
よう分からんですけど、たぶん井上陽水は天才。
ゾウさんが好きです。でもホットケーキのほうがも~っと好きです。
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ホ ッ ト ケ ー キ 食 べ だ い゛ !!!
君の名は。の感想
ちょっと前に映画で「君の名は。」見てきました。(本は読んで)ないです。
おっぱい揉みながら泣きじゃくるシーンめっちゃ面白いですよね。
以下、気づいたこととか、感想とか。
糸の言葉遊び
糸で言葉遊びしてるのが面白い。
糸守町、親子のへその緒、彗星の軌跡
スマホにハッキリと映るアプリが、LINE(糸)。無線なのに有線みたいな。
瀧君の記憶の景色が分かるきっかけになるのはラーメン屋(麺)
瀧君がラーメン屋店主からもらう弁当はおにぎり=おむすび=お結び
こじつければまだまだ出てきそう。
入れ替わりについて
たぶん宮水家の家系は、代々入れ替わりを経験してるんですよね。それを裏付けるのが、祖母の「入れ替わるってこと経験したよ、覚えてないけど」っていう証言と、糸森町にある複数のクレーター。過去にも隕石の衝突があって、今回の話と同じように入れ替わりを使って人の命を救ってたってことなんでしょう。
聖地に渡る際に祖母が、「ここから先はあの世」って言うのも、その聖地を使う時にはすでに隕石の衝突があって人命が失われた世界に行くからなんでしょう。
形だけが残る
祖母が聖地の移動の経緯を語る際に「意味は失われて、形だけが残った」と言うんですが、物語の中の三葉の髪留めがこの意味を持ち続けるんですよね。
中学生の瀧君に、高校生の三葉が髪留めの糸を渡すんだけど、これは駅伝のタスキみたいなもんですよね。未来へのバトンタッチ。
そして、瀧君は意味が分からないんだけど、お守りとして手首につけっぱなしにしていて、糸森町に行った時に記憶を辿るきっかけになると。
その後、隕石衝突直前の聖地で瀧と三葉が会うシーンで、これを三葉に返す。「ここから先は肉親である三葉じゃなきゃ市長を説得できないから、あとよろしく」って形でバトンを渡すと。
記憶がなくなるという設定
この映画を見た後だと、自分の人生の選択とか、一目惚れとか、そういうのに理由があったんじゃないか?って思えてくるのがこの映画のいいところですよね。覚えてないけど、実はこんなことあったんじゃない?みたいな。
E.T.の感想
ブログなんてもっと適当に書いていい!って方針にしようと思います。
目標は5分で書くこと。
E.T. 見ました。
子供の頃ちらっと見た気がするんだけど、全然内容覚えてないシリーズ。
ハロウィンでヨーダについていこうとするシーン超面白いですよね。
エリオットのお兄ちゃんが言ったセリフが面白いですよね。
「ボタン押すだけの野蛮人かもしれないぞ!」って
宇宙人がUFOに乗って地球にやってきて、進んだ文明と技術についていろいろ教えてくれる。しかし、UFOが壊れたとたんに、何も説明できない者になってしまった。というのも、技術が進みすぎていてもはや個人が理解できる範囲を超えてしまっている。その者ができるのはスイッチ等を押して、その機器を使ったり、説明を機器から引き出したりすることだけだった。という話。
今の現代人も、割りと笑えない話ですよね。スマホとか使ってるけど、それを支えている通信技術、工業的技術、プログラムを理解できる人間がどれほどいるのかあやしいもんです。
でも、この映画のE.T.はめちゃめちゃ頭いいですよね。短い時間で救助信号発生装置もぱっと作るし、ちょっとした言語も取得。痛みという概念について、肉体的な痛みだけでなく、心の痛みまで理解する。最後のお別れでは頭を指差して、ココニイルよって、粋なことまで言ってのける。
気になったのが互いに誘うところ。エリオットがE.T.に「一緒に暮らそう」って言うんだけれども、E.T.は帰ろうとする。最後のシーンではE.T.がエリオットに「一緒に行こう」って誘うんだけれど、エリオットは残ろうとする。
このシーンには、お母さんと別居してるお父さんが関わってきてるんですよね。残された人達がどれほど悲しむものなのかというのをこの映画の中でエリオットは学習するんです。E.T.にも帰るところがあるのに、はじめにエリオットは理解せずに「一緒に暮らそう」と言ってしまう。その後、このことを学習するからこそ、お別れの時にはE.T.に「行かないで」とは言わないし、「一緒に行こう」という誘いにも乗らない。エリオットがちょっぴり大人になる話でもあるわけですね。
ピンと来なかったのが、エリオットとE.T.はどうして途中まで一心同体的状態にあったのか。生命の危機に陥った時に、その状態が離れた上、その後E.T.は何事もなかったかのように元気になってるという展開。んにゃぴ・・・。
進化しすぎた脳
進化しすぎた脳―中高生と語る「大脳生理学」の最前線 (ブルーバックス)
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特に面白かったところ
脳は十分に使い切られていない
脳は機能が局在化している。例えば、脳には5本の指それぞれに対応する部分が存在する。
そして、脳の地図はダイナミックに変化できる。例えば、指が4本しかない人の脳には、4本に対応する神経しか形成されない。
つまり、脳の地図は後天的なもので、脳が決めているのではなく体が決めている。
逆に言えば、体が脳の進化にとってのボトルネックになっている。もし、指が6本になれば、それに合わせて脳は6本分の神経を形成する。もし、カイリキーみたいに腕が4本あれば、脳も腕4本分の神経を形成するということみたい。めっちゃすごい。
哺乳類の脳には6層構造になっているという共通点があり、これが脳に変化に適応する柔軟性をもたらしているようだ。
人間の記憶はなぜあいまいなのか。なぜなかなか覚えられないのか。
記憶のあいまいさについて。これは逆に、あいまいさと学習の遅さが大事なんだそうだ。
正確無比な記憶というのは、応用できないゆえに役に立たない。
例えば、人間の同一性の認識。Aさんという人を覚えようとしたときに正確すぎる記憶では、顔の角度、髪型、服装、時間経過による老化など、何かがちょっと違うだけで別人として扱われてしまう。
そこで人間は学習の速度を落とし、物事をあいまいに記憶し、不変の共通項を無意識に抽出する。これによって応用が効くようになる。この事象の一般化を「汎化」というそうだ。
そして、下等な動物ほど記憶が正確で、融通が効かないらしい。
池谷センセの本は分かりやすいし、面白い。
先生はえらい
授業の分かりづらい教師がえらいわけねぇだろオエ!って感じで読み始めたら、そういう話じゃなかった。
結論は、先生はえらいと妄想して、先生は何を伝えたいのか?と謎に思うところから学びがはじまるということ。
謎から学び取り出すことのできる知見は学ぶ人間の数だけ存在する。私たちは学びに対して無限に開かれている。こういった言葉に開放感と、学びの根源的な楽しさを感じた。
この結論にいたるまでにいろんな話があるんだけれども、全体として見通しがよくなるように書いてあるし、個別の話としても面白い。
沈黙交易
沈黙交易とは言語も文化も違う人間の間で「特産品」をやり取りするというもの。当時の人たちは、集団外の者にとっては使用価値が分からないものを交換し合ったからこそ、ワクワクして交換を続けた。逆に、使用価値の分かるものを交換しても、そこには何の楽しみもなく、次第に取引する意欲が減退するものなのだという。
現代でも、なぜロレックスの時計は売れるのかという話をだして、ロレックスの時計は300万もするのか分からない、商品価値が分からないからこそ売れるという論を展開している。面白い。
コミュニケーションが楽しいのは、そこで取り替えられつつあるものの意味や価値がよくわからない時
次に、話がコミュニケーションに進む。コミュニケーションについても、分かりきった(と思っている)話は聞いていて面白くないが、分からないときの話は聞いていて面白いのだという。しかし、分かってしまうとそれ以上コミュニケーションを続ける意欲が失われてしまう。だから、理解を望みながら理解に達することができないという宙吊り状態をできるだけ延長することを私達は望んでいる。
コミュニケーションは誤解の余地を残して構造化されている
理解の宙吊り状態の延長のために、コミュニケーションは誤解の余地を残して構造化されている。コミュニケーションを先へ勧めることができるのは、そこに誤解の幅が残されているからだという。誤解の余地があるからこそ、私達はコミュニケーションの実感を味わうことができる。
十代の若者の会話の語彙は貧困である。なんでも「わかるー」「かわいい」といった言葉しか登場しない。しかし、内田センセーに言わせればこれは、わざと誤解の幅があるようにコミュニケーションしている結果なのだという。
あなたは何を言いたいのですか?
「監督はこの映画で何を言いたかったのですか?」映画監督のデヴィッド・リンチはこのようにインタビューされてびっくりして絶句したという話が出ている。芸術家は何か言いたいことがあらかじめあって、それを映画などで「表現」しているわけではない。「気がついたら、こんなものができちゃった」というのが本音なのではないかと、内田センセーは話す。
映画もコミュニケーションも誤解が生じるのが当たり前で、誤解があるからこそ面白いのである。
今まで自分は、「この映画の作者は何を意図しているんだろう?」とか、「自分はこう感じたけどこれで合ってるんだろうか」と考えることが多かった。しかし、これからは「誤解の自由があることは当たり前なんだから、もう積極的に誤解していこう」と考えていこうと思う。
内田樹センセーはこっちの本もおすすめ。
読んだのだいぶ前なんであんまり覚えてないけれど、面白かったって記憶は残ってる。
高校生向けの本はオススメ
ところで、このちくまプリマー新書という本は年齢的に高校生あたりを対象にしていて、読みやすくて面白いものが多い。
それ以外にも、高校生向けってタイトルが入ってる本ははずれが少ない気がする。
ただ単に分かりやすく書いているというだけでなく、著者が目線の高さを読者のところまで下ろして書いてくれて、優しさみたいなのが感じられる。そこが良い本と感じさせる魅力だと思う。
*1:文春新書