デュアルモニタ用の壁紙設定方法
デュアルモニタ用の壁紙の作成、設定方法のまとめです。
画像ビューワ「MassiGra」を使ってる方対象です。
Massigra、画像眺めるとき使いやすくていいですよ!
【目次】
A壁紙の作成
A-①壁紙として使いたい画像をMassiGraで開く
A-②モニタの数に合わせてMassiGraを起動。
Massigraの複数起動は、右クリックから「ファイル→もう1つ起動→空のウィンドウ」
A-③それぞれのモニタで、画像を全画面表示。
縦横比が合わない場合は、右クリックから「表示→~~」と進んで、お好みでいい具合に表示されるようにしましょう。下は一例。
A-④キーボードの「PrintScreen」を押す
A-⑤ペイントを開き、貼り付け(Ctrl+V)。貼り付けた画像を保存。
壁紙用の画像の作成は以上です。
B壁紙の設定
B-①デスクトップ上で、右クリックから「個人設定」をクリック。
B-②「デスクトップの背景」を選択(下の欄)
B-③作成した壁紙用の画像を選択し、「変更の保存」をクリックして、設定完了です。
お疲れ様でした。
足置きは世界を変える
キャリア教育という言葉が大嫌いだ
学生時代から、キャリア教育という言葉が大嫌いだった。
キャリア教育というのは、
自分の適正を見極めて、自分の将来(就きたい仕事とか)を見据えて、現在の学習内容を選びなさい
というような内容である。
でも、そんなこといったって、将来就く職業なんて分からないものだし、就活に失敗したらどうなるんだと。
目標だった就きたい仕事につけなかった場合、見据えていた勉強がまったく無駄になってしまう。
そもそも、就ける職業なんていうのはその時代、経済環境、流行、によって大きく変わってしまうものであって、初めから就く職業ありきで自分が受ける教育全てを考えるなんてナンセンスだし、リスク管理がまったくできてないんじゃないかと思っていた。
そんなわけで僕は、なんでもいいから、キャリア教育批判というのを待ちわびていたわけである。
そして、今読んでいるのがこれ。
やはり、内田樹センセはいいことを言う。
キャリア教育が行われる背景
なぜ、文科省は大学に対して、キャリア教育というのをしっかりやりなさいという通達をだすのか。
この背景はなにかといったら、大学を出たばかりの新社会人の仕事への定着率が悪いからだというのだ。
だから、仕事への定着率を上げるために自分の適正を考えて、それに合う仕事を選んで、相性のミスマッチをなくしましょうね。という発想が根幹にある。
才能というものは、他者の懇請によって発揮される。
内田樹によると、自分の適正などというものは、自分の中でうんうん考えたところで分からないものであって、他者からの要請に応える形で顕在化、あるいは呼び起こされるものなんだそうな。
仕事に就いて働いてみる中で、自分の中の才能が呼び起こされるものなのである。
だから、仕事につく前から適正というものを判断することはできないのである。
そして、こんな例を挙げている。
内田樹は、自分は子供が苦手だと思っていたが実際に自分に子供ができてみたら、子供が可愛くて可愛くてしょうがなくて、父性愛に目覚めてしまったらしい。
実際に子供ができてみないと、親としての適正は分からないという話である。
例えば語学。日本の中にいる限り、外国語は上達しないが、外国で生活をすると、必要に迫られてというか、他者から外国語を求められるために、頭の中のスイッチがONになったように上達する。
割りと納得できる話だと思う。
自分の能力なんて、分からないものですもん。
オトナ帝国の逆襲 の感想
今日は人と会う予定がないので久々に見ました。
正解でした。目がやばい。
映画 クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶモーレツ!オトナ帝国の逆襲 [DVD]
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覚えてない人のための超あらすじ
オトナ達は「昭和のニオイ」によって、コドモの精神状態に戻ってしまった!
組織「イエスタデイ・ワンス・モア」のケンとチャコは、「昭和のニオイ」を全国に散布して、日本を懐かしの昭和時代に戻すつもりだ。
昭和ノスタルジーから我に返った野原一家は、計画実行を阻止できるか!?
昔はよかった
昔は良かったという気持ち。ノスタルジーってやつは本当に強烈だと思う。
20世紀からみた、夢の21世紀は希望に満ちていて、未来は明るくて、輝いていた。
経済は右肩上がりに成長して、国民全員で豊かになって、幸せがいつまでも続く、そんなふうに思えた。
ところが現実の21世紀はクソで。資源がない。人口は減る、経済はしぼんでいく。縮んでいくしかない未来。緩やかな衰退が目に見えている。
そういう時代に生きていると、昔は良かったという気持ちが強く実感できる。
親が子供を子供と認識しない悲しさ
上映当時に見た時、子供っぽい振る舞いをするオトナが恐ろしく見えたのを覚えている。
親に捨てられるというのが、子供にとっていかに恐ろしいかが感じられた。
ひろしの回想シーン
子供ひろしが親と釣りにいって、恋愛をして、失恋をして、高校をでて、上京して、新入社員として働いて、みさえと結婚して、しんのすけとひまわりが生まれて、ローンで家を買って・・・
クタクタになるまで働いて、帰ってきたら家族とビールが待っている・・・
なんとなくは分かります。感動もします。
でも僕はまだ若いんで、「家族を持つ幸せは最高だぜ!」と手放しに共感することはできません。
こんなにクタクタになる日々を過ごしてまで、維持したい家族というものは本当にそこまで素晴らしいものなのかと、疑問に思わないではいられないのです。
なぜ、ケンは野原一家にチャンスを与えたのか
オトナ達が全員「昭和のニオイ」で昭和ノスタルジーに洗脳される中、野原一家だけがひろしの足の臭いで我に返ります。
我に返った野原一家を、ケンが「話がある」といって自宅に誘い、「昭和のニオイ散布計画」をバラします。
当然、チャコがケンに対して、「(計画をバラすなんて)どういうつもりなの?」と問い詰めます。
それに対するケンの言葉は「最近、走ってないな」(家を出た野原一家を見ながら)
これ、ただのはぐらかしかと思ったんですけど、たぶん違うんですよ。
僕は、以下のように解釈したいと思います。
その時のケンの感情を例えるなら、
「アスファルトから植物の芽が出てたら、摘まずにそっとしてやりたい」
的な、罪悪感的な感情だと思います。
ここでいう罪悪感というのは、
自分があまり頑張ってない時に、他の人が頑張ってる時の、頑張っていない自分への罪悪感です。
「最近、走ってないな」というのは、頑張ってない、必死に行動をしていないというこの暗示です。
作中、ケンとチャコは汗をかかない。必死にならない。爆発的な情動を見せない。
クールなキャラとして描かれています。
思い出の20世紀に戻りたいという感情も、頑張っている感情ではないです。
現実の21世紀はクソだから、夢と希望に溢れていた願望の21世紀だけを夢見て、新しいことなんて何もかもやめて、昭和の時代をゆったりと生きようと。
そういう保守的な、あまり頑張ってないキャラなんです。
それに対する、野原一家のハッスルぶり、全力思想ぶり、爆発的情動、モーレツです。
もう、階段を最後まで昇るしんちゃんとか反則ですよ。あんなん泣くに決まってるじゃないですか。
「アスファルトから出た芽」ぐらいの存在だった野原一家は、ケンからチャンスをもらった。
野原一家は必死な姿を見せつけて、ノスタルジーに浸るオトナたちに
「自分は昭和のノスタルジーに浸っていていいんだろうか?頑張ることもせず、この安らかな世界に安住していいんだろうか?」
という罪悪感を呼び起こした。
その結果、「昭和のニオイ」のレベルは下がってしまった。
そういう理屈なんじゃないかと思いました。
ケンは「昭和のニオイ散布計画」を内心、悪いことだと思ってたとか、
未来を託してみたくなったとか、
未来の人類として妥当かどうかテストしたかったとか、
そういう大層な話じゃないように感じるんですよね。
そういえば以前、岡田斗司夫が「オリンピックを見て、なぜ人は感動するのか」という問いに対して
自分が頑張れなかったけど、その選手は頑張ってその舞台に立っている。
その姿に罪悪感を感じて感動するんだ。
と言っていました。
それに近いものかなと、今回思ったわけです。
しんのすけの「ずるいぞ!」の真意は?
計画が失敗に終わり、チャコとケンは心中しようとします。
そこにしんのすけが「ずるいぞ!」って叫ぶんです。
自殺する人にかける言葉として、意味が通じないはずなのに、その瞬間はなんとなくハッとする言葉に感じるんです。なんなんでしょう。
僕は、この感情の正体は、「俺と同じぐらいは頑張れ!」という「他人への頑張りの強要したさ」だと思ってます。
人間は自分が頑張っている状態にあるほど、他人に頑張りを強要したくなります。
残業自慢なんかまさにこれです。
「俺、今月80時間残業したよ~。お前40時間?大したことないね~。」みたいな。
言い方悪いですけど、
俺たちはこんなに頑張ってるのに、大して頑張りもせずに絶望してんじゃねえよ。
クールぶりやがって、もっと必死になってみろよ。
被害者づらして自殺なんかしてんじゃねえよ。
みたいな感情が誰しも根底にあるんじゃないかな、と思いました。
続・ガチャポンおじさん
最近、全然ブログ書いてない・・・。
今日はマンガを売りに行ったら、一冊5円、合計270円にしかなりませんでした。
270円で、ガチャポンを回しました。
見かけてつい回しちゃいました。夏服ですよ! 激カワですね。
大阪さんも欲しかったですが、ちよちゃんが出たのでよしとしましょう。
1回300円ですよ。ソシャゲのガチャより全然いいよ!
以前のサウスパークのガチャポンは、8回回して3種類しか当たりませんでした。
このように、
「ここまでお金をつぎ込んでしまったから、ここでやめるわけにはいかない・・・」
と考えて、さらにお金をつぎ込んで大損してしまう現象を、コンコルド効果といいます。
また一つ賢くなりましたね。
前回の反省を踏まえて、2回で打ち止めとしました。
ちよちゃんが出たから良しや・・・。
これからも稼いだお金をおもちゃにつぎ込んで、
「自分の人生に必要なものはこれなんだい!このために生きているんだい!」
と主張していきたいと思います。
そういえば、あずまんが大王って久々に目にしましたね。
思えば、ちよちゃんってキャラクターは、天才らしからぬ愛くるしさとコミュ力がありますよね。
天才を表現するのに、よく
天才 = 変人で冷静沈着でコミュ障
みたいな図式が使われるので、改めて考えるとめずらしいキャラな気がします。
あ、でも、ちよちゃんって天才って印象薄いですね。
印象づけるならやっぱり、「変人で冷静でコミュ障」 というキャラ付けは強いのかも。
検索用
カプセルラバーマスコット
学歴フィルターについて思うこと
最近感じた、割りと当たり前のこと書きますけど。
企業の採用試験において学歴フィルターってありますよね、あれすごい合理的だなって思うんです。
最近思うのですが、文字をまったく読まない、説明と人の話を聞けない、歩み寄る気がない、軽いキチガイっていうのは世の中にはわりといるということ。
そして、キチガイの存在比率というのは学歴の高さに反比例するということです。
学歴がある子は、会話したときのハズレ感が圧倒的に少ない。
最近、ひしひしと感じています。
そういう環境の元で、人を採用する企業はどういう行動をとればいいのか。
人を採用するのって、想像以上に大きなコストがかかるものです。
採用すること自体に大きな時間とコストがかかる上、一回採用したら辞めてもらうのも大変。
ガバッと採用して、採用した人のうち100%がアタリというのは、まず不可能。
アタリが2割、3割いたら儲けものぐらいの世界なんだと思います。
例えるなら、スーパーに並んでいる形の良い野菜。あれは大量に作られた野菜の中から形の悪いクズ野菜を大量に選別した結果残った、エリート野菜です。
そういう考え方で人の採用というのも行われていると考えたほうが、おそらく実態に合っている。
そうしたら、企業側の採用においては採用面接の費用対効果を上げるために、キチガイの少ない一流大学から採用したほうが、費用対効果は圧倒的に高い。
例えるなら、わざわざ荒れ地で作物を収穫しようなどと思わない。土壌の整ったところで作物を収穫したほうが、圧倒的にハズレの割合が少なくなる。そういう話です。
そうすると、わざわざ一流大学以外から掘り起こす必要性が本当にない。コスパが悪すぎる。
企業側から見れば、学歴フィルターっていうのは学生をスクリーニングするツールとしては、めちゃめちゃ優秀なんだなって思います。
「企業で3流大学出身の人が大活躍!企業は学歴至上主義をやめるべき!」みたいなニュース、論法よくありますけど。
それは圧倒的にレアケースで、その戦略を採用するのは本当にコスパが悪い。
たまたまその人が優秀だっただけで、一流企業にも使える人材がごろごろいるという話ではない。
そして、高卒、大卒で給料の差はありますけど、大学名で給料の差をつけるというのはあまり聞かない話。つまり、三流大学出身だったら安く使えるみたいなメリットもないわけです。
うわぁ、やな話。