オトナ帝国の逆襲 の感想
今日は人と会う予定がないので久々に見ました。
正解でした。目がやばい。
映画 クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶモーレツ!オトナ帝国の逆襲 [DVD]
- 出版社/メーカー: バンダイビジュアル
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覚えてない人のための超あらすじ
オトナ達は「昭和のニオイ」によって、コドモの精神状態に戻ってしまった!
組織「イエスタデイ・ワンス・モア」のケンとチャコは、「昭和のニオイ」を全国に散布して、日本を懐かしの昭和時代に戻すつもりだ。
昭和ノスタルジーから我に返った野原一家は、計画実行を阻止できるか!?
昔はよかった
昔は良かったという気持ち。ノスタルジーってやつは本当に強烈だと思う。
20世紀からみた、夢の21世紀は希望に満ちていて、未来は明るくて、輝いていた。
経済は右肩上がりに成長して、国民全員で豊かになって、幸せがいつまでも続く、そんなふうに思えた。
ところが現実の21世紀はクソで。資源がない。人口は減る、経済はしぼんでいく。縮んでいくしかない未来。緩やかな衰退が目に見えている。
そういう時代に生きていると、昔は良かったという気持ちが強く実感できる。
親が子供を子供と認識しない悲しさ
上映当時に見た時、子供っぽい振る舞いをするオトナが恐ろしく見えたのを覚えている。
親に捨てられるというのが、子供にとっていかに恐ろしいかが感じられた。
ひろしの回想シーン
子供ひろしが親と釣りにいって、恋愛をして、失恋をして、高校をでて、上京して、新入社員として働いて、みさえと結婚して、しんのすけとひまわりが生まれて、ローンで家を買って・・・
クタクタになるまで働いて、帰ってきたら家族とビールが待っている・・・
なんとなくは分かります。感動もします。
でも僕はまだ若いんで、「家族を持つ幸せは最高だぜ!」と手放しに共感することはできません。
こんなにクタクタになる日々を過ごしてまで、維持したい家族というものは本当にそこまで素晴らしいものなのかと、疑問に思わないではいられないのです。
なぜ、ケンは野原一家にチャンスを与えたのか
オトナ達が全員「昭和のニオイ」で昭和ノスタルジーに洗脳される中、野原一家だけがひろしの足の臭いで我に返ります。
我に返った野原一家を、ケンが「話がある」といって自宅に誘い、「昭和のニオイ散布計画」をバラします。
当然、チャコがケンに対して、「(計画をバラすなんて)どういうつもりなの?」と問い詰めます。
それに対するケンの言葉は「最近、走ってないな」(家を出た野原一家を見ながら)
これ、ただのはぐらかしかと思ったんですけど、たぶん違うんですよ。
僕は、以下のように解釈したいと思います。
その時のケンの感情を例えるなら、
「アスファルトから植物の芽が出てたら、摘まずにそっとしてやりたい」
的な、罪悪感的な感情だと思います。
ここでいう罪悪感というのは、
自分があまり頑張ってない時に、他の人が頑張ってる時の、頑張っていない自分への罪悪感です。
「最近、走ってないな」というのは、頑張ってない、必死に行動をしていないというこの暗示です。
作中、ケンとチャコは汗をかかない。必死にならない。爆発的な情動を見せない。
クールなキャラとして描かれています。
思い出の20世紀に戻りたいという感情も、頑張っている感情ではないです。
現実の21世紀はクソだから、夢と希望に溢れていた願望の21世紀だけを夢見て、新しいことなんて何もかもやめて、昭和の時代をゆったりと生きようと。
そういう保守的な、あまり頑張ってないキャラなんです。
それに対する、野原一家のハッスルぶり、全力思想ぶり、爆発的情動、モーレツです。
もう、階段を最後まで昇るしんちゃんとか反則ですよ。あんなん泣くに決まってるじゃないですか。
「アスファルトから出た芽」ぐらいの存在だった野原一家は、ケンからチャンスをもらった。
野原一家は必死な姿を見せつけて、ノスタルジーに浸るオトナたちに
「自分は昭和のノスタルジーに浸っていていいんだろうか?頑張ることもせず、この安らかな世界に安住していいんだろうか?」
という罪悪感を呼び起こした。
その結果、「昭和のニオイ」のレベルは下がってしまった。
そういう理屈なんじゃないかと思いました。
ケンは「昭和のニオイ散布計画」を内心、悪いことだと思ってたとか、
未来を託してみたくなったとか、
未来の人類として妥当かどうかテストしたかったとか、
そういう大層な話じゃないように感じるんですよね。
そういえば以前、岡田斗司夫が「オリンピックを見て、なぜ人は感動するのか」という問いに対して
自分が頑張れなかったけど、その選手は頑張ってその舞台に立っている。
その姿に罪悪感を感じて感動するんだ。
と言っていました。
それに近いものかなと、今回思ったわけです。
しんのすけの「ずるいぞ!」の真意は?
計画が失敗に終わり、チャコとケンは心中しようとします。
そこにしんのすけが「ずるいぞ!」って叫ぶんです。
自殺する人にかける言葉として、意味が通じないはずなのに、その瞬間はなんとなくハッとする言葉に感じるんです。なんなんでしょう。
僕は、この感情の正体は、「俺と同じぐらいは頑張れ!」という「他人への頑張りの強要したさ」だと思ってます。
人間は自分が頑張っている状態にあるほど、他人に頑張りを強要したくなります。
残業自慢なんかまさにこれです。
「俺、今月80時間残業したよ~。お前40時間?大したことないね~。」みたいな。
言い方悪いですけど、
俺たちはこんなに頑張ってるのに、大して頑張りもせずに絶望してんじゃねえよ。
クールぶりやがって、もっと必死になってみろよ。
被害者づらして自殺なんかしてんじゃねえよ。
みたいな感情が誰しも根底にあるんじゃないかな、と思いました。