小学生並みの日記

肩肘張らずに語ろう

キャリア教育という言葉が大嫌いだ

学生時代から、キャリア教育という言葉が大嫌いだった。

 

キャリア教育というのは、

 

自分の適正を見極めて、自分の将来(就きたい仕事とか)を見据えて、現在の学習内容を選びなさい

 

というような内容である。

 

 

でも、そんなこといったって、将来就く職業なんて分からないものだし、就活に失敗したらどうなるんだと。

目標だった就きたい仕事につけなかった場合、見据えていた勉強がまったく無駄になってしまう。

そもそも、就ける職業なんていうのはその時代、経済環境、流行、によって大きく変わってしまうものであって、初めから就く職業ありきで自分が受ける教育全てを考えるなんてナンセンスだし、リスク管理がまったくできてないんじゃないかと思っていた。

 

 

そんなわけで僕は、なんでもいいから、キャリア教育批判というのを待ちわびていたわけである。

 

そして、今読んでいるのがこれ。

 

街場のメディア論 (光文社新書)

街場のメディア論 (光文社新書)

 

 

やはり、内田樹センセはいいことを言う。

 

キャリア教育が行われる背景

 

なぜ、文科省は大学に対して、キャリア教育というのをしっかりやりなさいという通達をだすのか。

 

この背景はなにかといったら、大学を出たばかりの新社会人の仕事への定着率が悪いからだというのだ。

 

だから、仕事への定着率を上げるために自分の適正を考えて、それに合う仕事を選んで、相性のミスマッチをなくしましょうね。という発想が根幹にある。

 

 

才能というものは、他者の懇請によって発揮される。

内田樹によると、自分の適正などというものは、自分の中でうんうん考えたところで分からないものであって、他者からの要請に応える形で顕在化、あるいは呼び起こされるものなんだそうな。

 

仕事に就いて働いてみる中で、自分の中の才能が呼び起こされるものなのである。

だから、仕事につく前から適正というものを判断することはできないのである。

 

 

そして、こんな例を挙げている。

内田樹は、自分は子供が苦手だと思っていたが実際に自分に子供ができてみたら、子供が可愛くて可愛くてしょうがなくて、父性愛に目覚めてしまったらしい。

実際に子供ができてみないと、親としての適正は分からないという話である。

 

例えば語学。日本の中にいる限り、外国語は上達しないが、外国で生活をすると、必要に迫られてというか、他者から外国語を求められるために、頭の中のスイッチがONになったように上達する。

 

 

割りと納得できる話だと思う。

自分の能力なんて、分からないものですもん。

椅子との付き合い方

 この本を読みました。

アゴを引けば身体が変わる 腰痛・肩こり・頭痛が消える大人の体育 (光文社新書)
 

 

以前、自分が使っている椅子について書いたことがありますが、新たな知見があったため、ここに書いておきます。

 

nyanmage-wed.hatenablog.com

 

人間は座りっぱなしではいられない

 

そもそも人は、同じ格好でいると3分もしないうちに体勢を変えたいと考えてしまう生き物らしい。

それゆえ、どんなに機能的に優れた椅子でも、人の身体を固定しておくことはできないようである。

 

 

そう言われてみれば、実感としても椅子に座りっぱなしでいられたためしがない。

読書をしていても、足を組んだり、椅子の上にあぐらをかいたり、膝を立てたり、寝っ転がったり、立ち上がったりしてしまう。

映画館でどんなに集中して映画を見ていても、必ず座り方が気になってしまい、あぐらをかいたりしてしまう。

 

椅子が悪いのかと思っていたがどうもそうではない。

同じ姿勢を続けられる椅子というものが原理的に存在しない。というのが正解みたい。

 

 

理想的な座位姿勢は乗馬の姿勢

人間工学から考えると、理想的な座位姿勢は乗馬の姿勢であり、このとき腰への負担が最小限になるという。

馬の鞍に座ると、自然と開脚姿勢となり、骨盤が前傾する。

こういうところが身体にいいんだとか。

 

こう考えると、普段我々が座っているフラットな座面の椅子は身体に良くない。

そして、座るというより跨るという発想にもとづいて作られている椅子がある。

 

本の中で紹介されてるのが、バンバックサドルシートとアーユルチェア。

一度座ってみたいもんですね。(前者は10万、後者は4万はするみたい)

 

http://bagu.phiten-horse.com/user_data/bambach_img/b_photo.jpg

www.ayur-chair.com

 

身体に負担の少ない椅子の座り方

最後に身体に負担の少ない座り方。

 

・両足をしっかりつけて座る。

 両足が浮いてしまうと、体の重さが腰に集中してしまう。しっかりと両足を地面につけて、かかる力を分散するのが良い。

 

・椅子の奥に尻を差し込むように座る。

 腰のところが背もたれにくっつくように座ることで、骨盤の位置がよくなるみたい。

 

 

サルが食いかけでエサを捨てる理由

 

サルが食いかけでエサを捨てる理由 (ちくまプリマー新書)

サルが食いかけでエサを捨てる理由 (ちくまプリマー新書)

 

 

印象に残ったところまとめ。

 

・レーシングカーと乗用車

例えるなら、ネコはレーシングカー、イヌは乗用車だという。

 

ネコは単独で狩りをするタイプである。

脊髄を切断するのに特化した牙の形と間隔。獲物を押さえ込むための鋭い鉤爪。鉤爪を収納できる鞘のような仕組みをもっている。狩りの際、瞬発力を重視した構造。

 

イヌは集団で狩りをするタイプである。長距離をゆっくり走るのに適した足。集団で生活するために発達した脳をもち、社会性を発揮できる。

 

例えるなら、ネコはレーシングカー。目的に対して究極の肉体構造を持ったタイプ。

イヌは乗用車。荷物も運べる、人も運べる、旅行もできて、レースもできないことはない(負けるけど)。汎用性が高い構造である。

 

また、昆虫で例えたら、カマキリとアリだとか。

 

 

 

・人間は、なぜ体毛が薄いか

「渚原人説」というのが興味深い。

 

人間の祖先は水辺に棲んでいたサルで、敵に狙われたときに水に逃げ込み、息を吸うために頭だけ出してやり過ごしていたというもの。こう考えると、様々な人間の特徴が説明できる。

まず、海水の浮力に助けられ、直立姿勢をとりやすくなる。そのまま砂浜に戻ってくれば直立歩行の出来上がり。直立姿勢をとることになって、脳が大きくなっても支えられる背骨が発達した。両手が自由になり、いろんないたずらができるようになった。

水の中で直立した場合は、子供におっぱいをあげていたメスは、子供に息をさせるために、高い位置に持ち上げなければいけない。すると胸以下のおっぱいは無駄になり、いちばん上のおっぱいだけが残った。

水に入ると毛は邪魔になり、呼吸をするために水面から出していた頭だけを残して、ほかはつるつるになった。毛は虫がついたりするため、水辺で暮らすなら、ないほうがいい。

 

そして、根拠として、人間は陸上で暮らす他の生物に比べ、非常に塩分に強いという性質がある。これは水辺にすむ生物ゆえではないのか。

また、道具を発明していない段階の人間が、鳥や、木の上の獲物、走り回る生き物を獲るのは無理だったんじゃないかと考える。すると、人間が素手で獲れるノロマないきものは、カニとか貝で、これをたんぱく源としてとっていたという。

 

 

 

・かわいさの法則

哺乳類に、かわいさの法則というものがある。

たとえば、二頭身や三頭身でまあるい頭。丸くて大きな、離れた目。武器としての、牙や爪が未発達。運動能力の低さを示す、たどたどしい動き方。

つまり、「自分は無力ですよ」ということをしめす。

 

こういうものを、哺乳類は「かわいい」と感じるようにできていて、親は子供を守るし、子供は親に守らせ、育てさせるという戦略をとっているという。

 

逆に、そういう法則が必要ない生物もいる。生まれてすぐに親から独立する、親が育てる必要のない生き物。例えば爬虫類、魚類、昆虫など。生まれたらあとはほったらかしなので、親が「かわいいな」と思う必要がないため、そのように生まれてくるのだそうだ。

 

そして、親が「かわいいな」と思いながら育てられる生き物は、高等な社会生活を営んでいる種族である。つまり、子供時代に、本能以外でいきていかなければいけない、その動物の世の中のしくみを、親から学ばなければいけないからだという。高等な社会で生きるためのトレーニング期間として、子ども時代があるということ。

 

 

 

・家畜になることで、種が存続できる。

人間の価値観から見れば、食べられるだけの牛や豚は、お気の毒というほかない。

しかしこれを、牛や豚は人間が守っているから、今も絶滅を免れているというふうに考える。つまり、牛や豚は人間に家畜化されることによって、「種全体の存続」を保証されているわけである。人間を利用しているともいえる。

 

例えば、インドネシアのスラベシ島に、バビルサという豚の祖先に近いイノシシの一種がいるが、これは絶滅しかかっている。なぜ絶滅しかかっているかといったら、豚にならなかったのがいけなかったのだ。牙を突き出して、人間になつかなかったために、絶滅の道をたどっているのだ。

 

絶滅のリスクを背負ってまで、野生にとどまり人間と拮抗するか、個体は人間にくわれても種全体を絶滅から守ってもらうか。要は種全体として存続すれば、その動物種は成功なのだという。

 

ここには個人主義といった考えはなくて、種全体で存続するという考え方が貫かれている。すごい考え方だと思う。

 

ここから、この社会から逃げろ

胸が痛い。たぶん疲労とストレスだ。

 

こないだは胃に異常がでた。

 

 

 

最近考えている。

これは、自分の頑張りが足りないとかじゃない。

世界がおかしい。環境がおかしい。

 

 

自分が今いる職場の状況は、最悪だ。

 

人手が圧倒的に足りない。

管理職は人員を引っ張ってこれない。

1年も人手不足の状況を放置している。無能なのか?お前の仕事はなんだ?

上は現場をまったく見ていない。まったく人手をよこすつもりがないらしい。

 

バイトは割に合わない職場に愛想をつかし、次々とやめる。

 

客は相変わらず「お客様」で、ギャーギャーと自分勝手なことをほざいている。

 

職場には使えないやつが数名。貴重な枠を圧迫した上、自分はそいつらの尻拭いをさせられる。

 

自分を含め、現場は疲弊しすぎている。職場の病休が多すぎる。

 

 

 

 

この本のことが脳裏をよぎる。

20代で隠居: 週休5日の快適生活

20代で隠居: 週休5日の快適生活

 

扁理大原さんは、糞忙しい本屋でアルバイトをしていたらしい。

圧倒的な人手不足の中働いて、ある日、社員の呪詛のような殴り書きのメモ(自分宛て)に戦慄し、

 

私は、ここにいてはいけない

人をここまでおかしくしてしまう社会から逃げなくては

 

と思い、ついには隠居にいたったそうだ。

 

 

 

今の自分は、まったく同じことを思っている。

ここから逃げないといけない。

 

こんな無理なシステムを、個人の頑張りで維持しようなんて馬鹿げている。

はじめから全ておかしいのだ。

 

一度、こんな職場は崩壊してしまえばいい。

上のやつらは、崩壊しないと分からないんだろう。バカにはいい薬だ。

 

 

みんな頑張っているんだとか、上も予算が限られていて板挟みになっているとか、そんなことは分かっている。100%悪者論を語る気などはない。そんなことは分かっている。

ただ、それは問題を放置していい理由にはならない。

 

 

問題を全て、下とか現場に押し付けて、上では「問題は解決しました!」なんて報告するケースは、今の社会に広くはびこっている。

 

いい加減にしろよ。

株式投資は儲からない

 

なぜ株式投資はもうからないのか [ソフトバンク新書]

なぜ株式投資はもうからないのか [ソフトバンク新書]

 

半年ぐらい前に読んだので、かなりうろ覚え。

一般人が株式投資で儲けようなどと思わないほうがいいよ、という話。

 

デイトレーダーと一般人では情報格差がありすぎる。

 

・証券会社は投資家から手数料をとることでで食っているため、投資家としては売買すればするほど手数料にお金を大きくとられる。とられる手数料を大きく上回る利益を果たしてあげることが出来るのか?

 

・短期的な一点投資(アクティブ投資)は、どうやってもギャンブルである。

 

・逆に、分散投資は大きなリスクを回避できるものの、利益はもちろん小さくなる。個人投資家は元手が少ない分、稼ぎも小さくなり、手数料のことも考えるとやはり大きく稼ぐのは難しいという結論になる。

 

・こうすれば儲かる、などというおいしいお話は存在しない。専門家が言う「この銘柄が良い!」なんて話ももちろんウソ。その話が本当なら、秘密にしておいたほうが儲かるわけで、そんなうまい情報を流す理由がない。

 

・企業にとっては、株式上場というのは資金集めというよりも、売名目的が強いらしい。

 

株式ディーラーのぶっちゃけ話

株式ディーラーのぶっちゃけ話

 

こういう本も読んだ。証券会社の雇われディーラーの話。

 

・ディーラーでも、月間200万が目標として設定されているらしい。会社の大きなお金を使って、この数値だとすると、個人で闘うのは分が悪いなと思えてくる。

 

・ディーラーにはギャンブル依存症が多い。(本当なのかこれは?)

 

逆張りと順張り。順張りとは上昇している株を買って、さらなる上昇を期待する手法。逆張りとは、下落している株式の反発を期待して買う手法のこと。1日の取引のうち、順張り7割、逆張り3割ぐらいで買ってるらしい。

 

・株価の正確な予測なんて誰にもできない。理論で相場を語ることなど、ほとんどできない。

 

・中小証券会社は、自己売買部門=ディーリング部によって支えられている。

 

 

 

自分は半分遊びで、少額で株を買っている。でも取引にかける時間もないし、どう買えばいいかとか考えるのも時間的なコスパが悪いと思っている。ほとんど買いっぱなしでそのままだ。

 

たまに買った株の状況を覗くと、値段が上がったり下がったり。本当にまったく予想できないものだなぁと思うし、手に負えないものだと感じてる。

プレステ3はなぜ失敗したのか?

 プレステ3はなぜ失敗したのか?

プレステ3はなぜ失敗したのか? (晋遊舎ブラック新書 002)

プレステ3はなぜ失敗したのか? (晋遊舎ブラック新書 002)

 

 スタートダッシュに失敗

プレステ3の発売初日の国内での出荷台数はわずかに8万台。前のプレステ2(約90万台)の十分の一以下となった。任天堂Wiiの類型販売台数が195万台なのに対して、プレステ3は81万台にとどまった。(2007年3月末のデータ)

 

発売日につまづいたゲーム機は、ほとんど例外なく「負け組」に転落する。例として、セガドリームキャストをあげる。1998年にセガが発売したドリームキャストも発売日につまずいた。映像を表示するグラフィックチップの供給が追いつかなかったことが大きく影響し、思うように出荷本数をのばすことができなかった。

 

ゲームビジネスの勝ちパターンはこうだ。初めに赤字覚悟でもゲーム機の普及台数を伸ばす。分母となるハードの台数を増えれば、ソフトの売上が見込みやすくなり、ソフトメーカの参入が加速、ソフトが質・量ともに充実することで、ハードがまた売れる、というものである。ゲームビジネスはハードで稼ぐのではなく、ソフトで稼ぐものなのである。

 

結果、プレステ3はこのパターンに逆行してしまったことになる。

 

ゲーム機として本来不要なブルーレイ再生機能

プレステ2が売れた要因の一つとして、ゲーム機としてだけでなく、DVD再生機としての需要があった。このビジネスモデルが上手く行ったからなのか、プレステ3にはブルーレイ再生機の普及という役割を押し付けられていた。

 

ブルーレイの再生機能をつける上で問題になったのがAACSという技術。これは著作権を守るためのものである。しかし、映画会社との付き合いの結果、プレステ3を売る上でのボトルネックとなり、ゲーム機として高すぎる価格、発売日の延期、供給量が追いつかないという事態を引き起こした。

 

そもそもプレステ1が売れたのはなぜか

プレステ1発売当時、プレステ1の業界での強みは以下の点にあった。

 

  • 当時主流のROMカードリッジに比べて、640MBの大容量データ。
  • 製造原価、プレス代がROMカードリッジに比べて圧倒的に安い。
  • プレステ1のアーキテクチャ(基本設計)が非常にシンプルで分かりやすかった。

 

以上の点がソフト制作のハードルを大きく下げ、大量のソフトが流通、ソフトが充実することになった。とにかく、ソフトの安さと作りやすさが、勝ちに大きく影響した。

 

ちなみにプレステ2ではハードの性能が向上した。しかし、ハードの性能をフルに引き出すのが難しいそうで、ソフトの作りやすさという面では、プレステ1に比べるとかなり作りにくいものとなっていたようである。(それでも売れたけど)

 

 

CELL構想という絵に描いた餅

ゲーム機の性能をプレステ2以上に向上させるために、ソニーが考えたのが分散コンピューティングというアイデアだった。簡単にいえば世界中のインターネットに繋がったCELL同士が互いに連絡を取り合って協力し、処理を分散し、難しい処理を行うというもの。これはCELLを載せた機器が普及していればしているほど、大きな効果を生むことになる。ソニーはまずプレステ3にCELLを載っけて普及させ、次にCELLを搭載した家電を送り込む予定だった。

 

しかし、CELLが大きな消費電力を食う。また、家電についてはCELLを載せることにたいしたメリットがないことで、この計画は頓挫したという。

 

コレに関しては、本気で考えてたのか?とすら思いたくなるレベル。

 

セックス嫌いな若者たち

 

セックス嫌いな若者たち (メディアファクトリー新書)

セックス嫌いな若者たち (メディアファクトリー新書)

 

セックスを嫌悪すると答える人の割合が、特に若者の間で増えているらしい。

草食系という言葉のイメージとは裏腹に、性欲は相変わらずあるのだが、オナニーで十分でセックスに至らないという人が増えているみたい。

 

 

セックスするお金がない

コンドームをつけても、妊娠する可能性は0%にはならない。もし、妊娠した場合には出産・子育て、あるいは中絶に大きなコストがかかる。避妊のコストに加え、ホテル代を含めたデート代もかかる。セックスにはお金がかかるものだという認識が意外と忘れられている。

 

仕事で疲れ果てて、その気になれない。

本書で興味深い統計データがでている。週49時間以上の労働で、セックスレスのカップルの割合が増えるというもの。週休二日なら、一日だいたい2時間以上、月36時間以上の残業にあたる。多くの人が該当してしまう数字だと思う。

 

アダルトビデオの悪影響

昔に比べてネットが発達し、アダルトな情報に気軽にアクセスできる環境が出来上がった。その結果、実体験がないものの、頭でっかちに知識だけ大量に蓄えている人が増えているという。性に関して耳年増になり、セックスのことはひととおりわかったような気になるという。

ネットの情報は興味本位のものが多く、それを鵜呑みにした結果、セックスにうんざりし、汚らしい、気持ち悪いといったセックスを否定的にとらえる傾向が増えている。

また、セックスの教科書というものがないため、アダルトビデオを参考にするという人が多い。アダルトビデオは普通のセックスではない、あくまで娯楽としてとらえるべきであるし、彼らは一応プロである。アダルトビデオのように無理な体位を取らされたり、体を雑に扱われてセックスを嫌いになる女性もいる一方、アダルトビデオ通りにいかないと悩む男性を生んでいるという。

 

アダルトビデオの影響に関しては、僕も思うところがある。

人間の欲望は、欲望の対象との距離が遠いほど大きくなると、ボードリヤールは言っている。高級なクルマや時計などは、価格が高くて手に入りにくいがゆえに欲しいと思わせる効果があるという理論だ。アダルトな情報に関しても、アダルトな情報は秘匿され、手に入りにくかった時代から、見るだけなら簡単に手に入る時代になってしまったがゆえに、欲望の炎は小さくなったのだと思う。