バクマンの感想まとめ。
文字が多い作品。結構読むのが大変だった。
後半なんか、あんまり味わう読み方はしてない。
漫画家マンガって描くの勇気いると思う。デスノコンビすごいと思う。
マンガ家は面白いと思ったものを全力でだしているけれども、それが正しい保証はない、その中で頑張ってるっていうのがひしひしと伝わってくる。
そして、漫画家マンガをギャグ漫画ではなくマジメな形で、しかもジャンプで描くというのが素晴らしい。
漫画描きました → ◯◯位でした → やったー
みたいにワンパターンになってしまうのは否めなかったけど、それでもマンガ論をこれでもかと盛り込みながら、ストーリー漫画として成立させた技量に脱帽である。
参考
1巻
漫画で売れるなんてバクチだ!
現実的に漫画家になる難しさがまず語られる。
2~ 11巻
ジャンプ編集内の暴露本
漫画家が描く暴露本としての機能は大きい。
人気至上主義、アンケートハガキ、掲載順、持ち込み、読み切り、連載、メディアミックス、年間スケジュールなど。
そして、編集者というものへの愛憎混じった捉え方。
頼れる服部、頼りない港浦という形で表現している。
マンガ論
計算型と天才型。王道と邪道。ギャグとシリアス。
タイトル、キャラデザイン、キャラ名。桜木花道って名前は最高だ、みたいな話。
絵がマンガでいかに大事かということ。地味なマンガでもいかに絵に躍動感をもたせるか。
ギャグは安定した人気をとることができるとか。
マンガは、作者の現実の世界観が大きく反映されるとか、過去の経験から生まれるとか。それによってジャンルの向き不向きというのが大きいこと。
アシスタント論。夢の過程として捉える人もいれば、専業アシスタントとなっている人など。
刺激をしあう仲間の大事さ。
漫画家という仕事は時間との戦いで、ものすごく体力勝負であること。
改めて言われなくてもというようなことも多いが、大事なことがストーリーとして展開されている。
中でも自分が好きなのが、「ゲイジュツとエンターテイメント」という軸
ゲイジュツとエンターテイメント
マンガは芸術であり、読者に媚びる描き方の一切は敗北である。自分のやりたいことだけやればいい。
芸術なんだから万人には理解してもらわなくたっていい。媚びるぐらいなら人気なんて出なくたっていい。売れなくたっていい。みたいな態度。
これがゲイジュツ。
対になるのがエンターテイメント(娯楽)。みんなが見て楽しめる。子供だって楽しめるもの。
バクマンでは、蒼樹紅、森屋秀一がこういったゲイジュツを主張する。
でもそれは自己満足にすぎない。オナニーである。
すべて自費でやっているというならいいけど、彼女はジャンプに雇われて、マンガを売ることで生計を立てている身である。売れなくてもいいなんていうのはワガママ以外のなにものでもない。
ゲイジュツとエンタメ、両方満足させてこそプロ。例えば、スピルバーグや宮﨑駿。
彼らの偉大なところのひとつは、作品をエンタメにして大きな売上を出すことにある。
7~8巻のあたりで、「パンチラ」というくだらないと思われがちな話を主にして、蒼樹さんはエンタメを学び、自分の殻を破る。
蒼樹さんに福田さんが「風呂の入り方をどう描くか」をアドバイスするシーン。このやり取りはすごく好きだ。
ここから蒼樹さんは人気のでるマンガが描けるようになるだけでなく、自分とは違う他人の価値観に気づき、自分だけの価値観に閉じこもるのをやめる。そしてそれが、他人とのやりとりの柔らかさに繋がってきているんだと思う。
別にエンタメ性をだすことは敗北ではない。自分の立ち位置をわきまえた振る舞いであり、強く生きることであり、他人へのサービス精神であり思いやりである。
余談だけど、個人的に福田、蒼樹コンビ好きだったんだけどなー。
なんで息抜き編担当の平丸くんとくっついたかなーって正直思ってる。
11巻の「PCP」完成で、亜城木コンビはほぼ完成形にたどり着き、漫画家になるという話は一区切りつく。
ここからはもう少し、個人を越えた大きな話へ。
12~13巻
マンガの影響力について。社会への良い影響と悪い影響。
メディアの煽り立てるような報道に対する嫌悪感が伝わってくる。
デスノートのときもそういうことあったんだろうなーというのが伝わってくる。
漫画家はくだらない職業か?
画家を引き合いにだして、漫画家は画家に劣るものだろうかという問いがでてくる。
これまでで漫画家に、どれだけ多様な能力が求められるかが描かれているのをみれば、少なくとも劣る職業ではないことが主張されているのが分かる。
そして芸術に比べて、作品が多くの人に見てもらえるということが強調される。
PCPのマネをする子どもたちを見せたりし、影響力の大きさがポジティブに表現される。
14~17巻
少年ジャンプ否定
少年ジャンプは、少年ジャンプらしい展開(友情・努力・勝利)しか採用しない。
面白ければ、そんなことにこだわらなくていいのでは?
もっとどす黒い、バトルロワイヤルみたいなものを描いてもいいのでは?というもの
しかし、例えるなら少年ジャンプは、映画業界のハリウッドみたいなものである。
少年ジャンプはマーケティングとして、ジャンプらしい作品のみを紙面に載せて、成功をおさめてきた。
決して、ジャンプらしくない作品はすべて面白くないというふうに主張しているわけではない。
マーケティングとしてそういう方針をとっているだけである。
それが嫌ならジャンプ以外で描けばいいじゃないか。
編集者不要説
ネットの力、炎上商法をつかって話題になり、連載を獲得する夜神月みたいな奴が登場。
夜神月は編集者の意見を聞かず、ネットで大人数の意見を募り、自分のマンガの方向性を決める方式を採用する。これが短編ものとしては成功。
しかし、連載となったとき、大人数の意見を集約して話としてまとめることに失敗。話の一貫性が保てず自壊する。ネットの支援者も離れていく。
その後、会社を立ち上げた夜神月が再来。
今度は会社内で小規模マーケティングを行って原作をつくり、絵の上手いやつに描かせるという手法をとる。
しかし、これも話に心がこもってないという理由で、連載陣のマンガに負ける。
やはり現在のところ、編集者をつけるというシステムが最適解なのだ。と結論する。
しかしながら、港浦を憎めないダメ編集者という感じで描いているところを見ると、決して編集者方式は万能だと主張しているわけじゃないんだろうなと感じる。
あと、心ってなんだよとちょっと思う。論としてちょっと弱い気がする。
夜神月が小物すぎて残念だったとも思う。亜城木夢叶コンビに勝つがなんでそこまで目的化してるのかわからない。
漫画家は幸せか?
真城は小学校の同窓会に出席。
初めチヤホヤされるが、毎日マンガの仕事漬けでまったく暇がないこと、遊んでないことを打ち明けると、みんなが引いていく。
遊ぶ暇がない。お金も当たれば大きいが、連載を打ち切られたら明日がどうなるかわからないくらい安定感のない職業。青春のすべてをマンガに捧げた亜城木夢叶コンビは、自分達をあしたのジョーの矢吹丈に重ね、今の自分達を肯定する。
「紀ちゃんのいう青春を謳歌するってこととちょっとちがうかもしれないが 燃えているような充実感はいままで なんどもあじわってきたよ…血だらけのリング上でな
そこいらのれんちゅうみたいにブスブスとくすぶりながら不完全燃焼しているんじゃない
ほんのしゅんかんにせよ まぶしいほどまっかに燃えあがるんだ
そして あとにはまっ白な灰だけがのこる…
燃えかすなんかのこりやしない…まっ白な灰だけだ」
個人的にはこの回がかなり好き。
18~20巻
ここから物語をたたみにいく感じ
亜城木夢叶はリバーシというマンガを構想。連載。
アニメ化が決定したものの、声優が誰になるかで揉める。
声優が無事決まり、アニメ放送。夢がかなったねでオワリ。
「リバーシを僕が担当したかった!」と酔って本音を吐く服部さんが良かった。