この世界の片隅に の感想
見てきました。最高でした。
この映画は、人間の弱さ というものがよく描けていると思う。
人間は、物質的な豊かさ、精神的な豊かさを享受していないと、善良さというものを維持できない。そういう教訓をこの映画からは引き出せると思う。
そして世間でいうところの善良さとは、社会的役割を果たすこと である。
この映画で、すずを支えているものは大きく言って以下の2つである。
・物質的な豊かさ
(衣食住)
・精神的な豊かさ
(居心地の良い家庭、絵を描くことと、その手段の右手の存在)
物語が進むにつれて、この2つの支えがなくなっていき。すずは社会的役割を果たすことに疲れていく。
そして、戦争が終わって復興する中で、すず自身も回復していく。
アリストテレスが「人間は社会的動物である」と言ったように、人間は自分一人で生きていくことはできない。分業が高度に進んだ昭和の時代ではなおさらである。
社会の中で生きる際、それぞれの人間は100%自分勝手に行動することはできず、なんらかの社会的役割というものが存在する。
社会的役割とは、例えば・・・
・学生は、学生服を着て、先生の言うことを聞いて、勉学に励み、学生らしくふるまうことを強制される。
・大人は、自立した生活をして、所帯を持ち、大人らしくふるまうことを強制される。
・患者は、病衣を着て、医者の指示に従い、おとなしく、患者らしくふるまうことを強制される。
ゴフマンが言ったように、人間関係とは一種の演劇(ドラマツルギー)であり、ごっこ遊びに近い。社会の構成員は、社会的役割を演じることを強制されるのである。
しかし、社会的役割に我慢できず、反抗しようとするのも人間らしさである。
学生の例で言えば、学生服を着崩したり、たばこを吸ったり、学校をサボったり・・・
という具合である。
この映画のすずも例外ではない。
すずには社会から以下の役割が期待されている。
・他家に嫁いだお嫁さんとして、家をまもりなさい。
・女として、お嫁さんとして、貞操をまもりなさい。
・家族の構成員として、家族を大事に思いなさい。
・日本国民として、節制に努め、戦争に協力しなさい。
そしてすずの中で、社会的役割を果たすことと、本音との、引っ張り合いが起こる。
物語の序盤では、お米を膨らましたり、モンペを作ったりなど、工夫して、役割を積極的に果たしていく。
しかし、物語が進むにつれて、本音のほうに傾いてくる。
○社会的役割からの逸脱を、踏みとどまるシーン
・水原さんに迫られ、これを悩みながら、拒む
・空襲で家が火事になりかけて、火を消すのをためらう
○本音が漏れるシーン
・ストレスによるハゲができる
・実家で安心しきった顔を見せる。北条家に帰る電車を逃す(無意識ながら、帰りたくないの気持ちの現れだと思う)
・空襲で空が5色に彩られ、不謹慎ながら絵を描きたいと漏らす
(戦争協力、節制への反抗)
・周作に、広島に帰ると漏らす(嫁としての役割への反抗)
・兄が死んでホッとした、とつぶやく(家族への反抗)
物語の終盤、戦争が終わる。
配給も増えて、すずは善良さを取り戻していく。
・兄の死を物語にする。
(兄は無人島にたどり着いて、ワニと結婚したというもの。兄が生きていて結婚したというところに、家族を大事にするという役割が見える。でも、結婚相手はワニなんだけどね、というところに、兄は嫌いという思いが見え隠れする。ある種の弔いであり、気持ちの整理である。)
・戦争孤児を拾う(心の余裕のあらわれであり、義姉への贈り物でもある)
すずの内面は、広島の街と対応し、絵として表現される。
1.物語序盤の、海苔を届けに行くシーンは、豊かな状態。(子供時代)
2.戦争が進み、配給が減っていく。
(役割を受け入れつつ、工夫で乗り切るような状態)
3.砂糖を買いに行き、闇市にいくことで、人々の本音を知る。
と、同時に、自分の中の本音に気付く。
4.戦争終盤で配給が激減、原爆も落とされる。(限界)
5.戦争終了後、復興を進めて、元の広島を徐々に取り戻す。(回復)
わー、固い文章になってしまった。
でも、説教臭くなく、悲しいけれども喜劇的で、絵の綺麗さ、柔らかさが感じられる。
何度も見たくなる名作だと思う。