【第五話_トールの社会勉強】小林さんちのメイドラゴンを本気で見る
普段アニメ見ないんですけど、いやぁ、いいですねぇ。たーのしー!
疲れたときにはアニメですよ。
第五話おしながき
前編 トールが小林さんの職場を見に来る話。
中編 トールがファフニールさんの居場所を探す話。
後編 トールが人間に負けまいと修行する話。
感想
第五話は後編にずいぶん含みをもたせていますよね。
ストーリーはこう。
トールは手品師がスプーンを力まずに曲げているのに驚愕。
修行をしたものの超能力は身につきませんでした。
続くやり取りがこう。
小林さん「あのさあ、トールは人間にできないことたくさんできるんだから、それでいいんじゃないの?」
トール「だめです!私は人間に負けたくないんですよ。やつらに劣ることがあっちゃいけないんです。それは絶対です。絶対なんです。」
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ドラゴンは人間どもには何一つ劣ってはならないという、プライドの高さが分かります。
ここで、前編の内容がかかってきます。
前編で、トールが小林さんの職場を見たときの感想はこうでした。
「人間は身を寄せ合って助け合い、たくさんのことを成し遂げる。しかし、ドラゴンはそんな文明を一瞬で滅ぼすことができるから、ドラゴンのほうが上」
ドラゴンであるトールにとって、人間は下等生物扱いです。また、個としての能力が高いドラゴンは個として完結でき、群れて助け合う必要もないと考えています。
(そういえば4話でのトールは、学校よりも、個人を伸ばす塾志向でしたね。)
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トール「だめです!私は人間に負けたくないんですよ。やつらに劣ることがあっちゃいけないんです。それは絶対です。絶対なんです。」
(小林さんの心の声)「多分、違うよトール。本当は人間を理解したくて、だから、理解できない部分にそんなに必死になれるんでしょ」
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小林さんの優しさと洞察力が光ります。プライドの高さゆえの行動ではなく、ドラゴンから見た人間の不可解な行動を理解しようとする葛藤ゆえの行動というわけです。小林さんステキですね。
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ここで、小林さんがテコの原理を使って軽くスプーンを曲げてみせる。
小林さん「分かってしまえば簡単なものだよ、でもそうじゃないものもある。トールはさ、トールにしかできないことをすればいいんだよ」
(ここで、トールは「あっ!」となる)
トール「そうですね・・・、分かってます、分かってますよ。」
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ここに、たっぷり間をとって、含みを持たせています。
つまり、ここでトールが理解したのは、「超能力(スプーン曲げ)とはテコの原理の応用である」ということだけではないんですね。
人間はなぜ集団で行動するのか。
それは効率がいいからです。人間同士は、お互いにできることだけやっていれば、個人ではできないことがあっても、短所を補い合う形で集団として上手くいきます。
たぶん、知識としてはトールはこれを知っています。
「人間は助け合い、たくさんのことを成し遂げる。」「でも、自分は能力の高いドラゴンだから関係ない。個人としてやっていける。」そうトールは考えていました。
しかし、スプーン曲げ事件でトールは敗北します。もし、小林さんがいなかったら、トールが超能力の正体にたどり着くことはなかったでしょう。
集団生活の当事者となることで、集団活動の利点を知り、トールの知識は実感を伴ったものへと変わったはずです。
だから、トールの口から出てきた言葉は「分かりました。」ではなくて、
「分かってますよ。」になったんだと思います。
結果、第五話を通してトールは、人間はなぜ集団で行動するのかを学びました。
まさしく「社会勉強」したわけですね。
前編に、トールと生活を始めてから小林さんの性格が明るくなったという描写がありました。トールのおかげで小林さんの性格は気づかない内に明るくなっていた。集団での生活は、構成員にそれぞれいい影響を及ぼし合う。小林さんの今回のトールへの言動は、それを踏まえた上でのものなんでしょうね。
2/13追記
なんか言い方固いですね。
人が群れて集団で行動するっていうのは、トールが小林さんと暮らすみたいに、いいことあるし、幸せなことなんだ!ってことに気づいた。ぐらいでいいのかも。
老人への偏見
60歳オーバーはダメだ。
人の話をまったく聞こうとしない。
空気をよめとか言いつつ、自分は空気をよんでないことに気づいていない。
自分の意見が正しいなどと、無根拠のくせに自信満々だ。
俺にできることは、スルーすることだけだ。
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スタートダッシュに失敗
プレステ3の発売初日の国内での出荷台数はわずかに8万台。前のプレステ2(約90万台)の十分の一以下となった。任天堂のWiiの類型販売台数が195万台なのに対して、プレステ3は81万台にとどまった。(2007年3月末のデータ)
発売日につまづいたゲーム機は、ほとんど例外なく「負け組」に転落する。例として、セガのドリームキャストをあげる。1998年にセガが発売したドリームキャストも発売日につまずいた。映像を表示するグラフィックチップの供給が追いつかなかったことが大きく影響し、思うように出荷本数をのばすことができなかった。
ゲームビジネスの勝ちパターンはこうだ。初めに赤字覚悟でもゲーム機の普及台数を伸ばす。分母となるハードの台数を増えれば、ソフトの売上が見込みやすくなり、ソフトメーカの参入が加速、ソフトが質・量ともに充実することで、ハードがまた売れる、というものである。ゲームビジネスはハードで稼ぐのではなく、ソフトで稼ぐものなのである。
結果、プレステ3はこのパターンに逆行してしまったことになる。
ゲーム機として本来不要なブルーレイ再生機能
プレステ2が売れた要因の一つとして、ゲーム機としてだけでなく、DVD再生機としての需要があった。このビジネスモデルが上手く行ったからなのか、プレステ3にはブルーレイ再生機の普及という役割を押し付けられていた。
ブルーレイの再生機能をつける上で問題になったのがAACSという技術。これは著作権を守るためのものである。しかし、映画会社との付き合いの結果、プレステ3を売る上でのボトルネックとなり、ゲーム機として高すぎる価格、発売日の延期、供給量が追いつかないという事態を引き起こした。
そもそもプレステ1が売れたのはなぜか
プレステ1発売当時、プレステ1の業界での強みは以下の点にあった。
- 当時主流のROMカードリッジに比べて、640MBの大容量データ。
- 製造原価、プレス代がROMカードリッジに比べて圧倒的に安い。
- プレステ1のアーキテクチャ(基本設計)が非常にシンプルで分かりやすかった。
以上の点がソフト制作のハードルを大きく下げ、大量のソフトが流通、ソフトが充実することになった。とにかく、ソフトの安さと作りやすさが、勝ちに大きく影響した。
ちなみにプレステ2ではハードの性能が向上した。しかし、ハードの性能をフルに引き出すのが難しいそうで、ソフトの作りやすさという面では、プレステ1に比べるとかなり作りにくいものとなっていたようである。(それでも売れたけど)
CELL構想という絵に描いた餅
ゲーム機の性能をプレステ2以上に向上させるために、ソニーが考えたのが分散コンピューティングというアイデアだった。簡単にいえば世界中のインターネットに繋がったCELL同士が互いに連絡を取り合って協力し、処理を分散し、難しい処理を行うというもの。これはCELLを載せた機器が普及していればしているほど、大きな効果を生むことになる。ソニーはまずプレステ3にCELLを載っけて普及させ、次にCELLを搭載した家電を送り込む予定だった。
しかし、CELLが大きな消費電力を食う。また、家電についてはCELLを載せることにたいしたメリットがないことで、この計画は頓挫したという。
コレに関しては、本気で考えてたのか?とすら思いたくなるレベル。
その男、凶暴につき【感想】
かなり面白かったです。感じたことをつらつらっと。
あらすじはウィキペディアを参考。
犯人は無傷で捕らえるべきか?
日本の警察は特にそうですが、犯人をなるべく無傷で捕らえるべしという理念があります。それが裏目に出て、話の中では逃亡した犯人一人捕まえるのに、警察が何人も負傷します。子供にも優しい刑事がボコボコにされるシーンはなかなか悲しいものがあります。我妻はこの理念に背き、手段を選ばず堂々と暴力を行使します。それが始末書ものの行為であろうと、対等な条件でなければ負けると考えているのでしょう。
これは、劇場版パトレイバー2と同じ構図です。PKO活動中に敵軍の発砲があったにも関わらず、日本軍は発砲許可をもらえずに一方的にやられます。なぜ、力を行使できないのか、平和ボケにもほどがあるぞというわけです。
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正義の行使には力が必要なんだということが、暗黙の内に語られるわけです。
そして、見てる側からすると、身内が非暴力ゆえにやられ、我妻が犯人をボコボコにすることでスカッとするし、力の行使に納得感があるように演出されています。
努力の甲斐なく、世界は変わらない。
我妻により、清弘も仁藤も死にました。しかし、麻薬組織は首が新開にすげかわるだけで存続。警察から麻薬の横流しも岩城が死んで、新米菊池が取って代わります。世界は変わらない。無力感。ひたすらに虚しい結末です。
妹の憐れさ
我妻が清弘を殺害すると、そこに我妻の妹が現れます。妹は清弘の死も気にせず、兄の姿も気にせず、ヤクを猿のように探し、あさります。それを見た我妻は妹を射殺します。射殺した理由を2つ考えました。
1.妹が生きるすべがないから、殺した。
我妻は殺人を犯している以上、この後平穏に暮らすということは考えられません。自分以外に妹をサポートできる人間がいないゆえに殺したという考えです。でも、これはたぶん違います。
2.妹は社会のクズであると感じたから、殺した。
妹は入院していたことが話の中で語られてますが、おそらく過去にも麻薬をやっていて、そこから更生するための入院だったのだと、僕は推測します。
我妻の目の前でヤクを漁る妹の姿はとてつもなく憐れに描かれてていて、とても更生の見込みがないと感じさせます。元々、我妻は妹を大切に思っています。しかし、今目の前にいる妹、我妻が捕まえてきた犯人と同様に、社会のクズなのです。肉親を思う気持ちを遥かに超えて、生きる価値のないクズと判断したゆえに、我妻は引き金を引いたように思います。
なぜ我妻はあそこまで行動したのか。
我妻の姿からは、すごく平成っぽさを感じました。正義の情熱とか、そういう熱いものではなくて、ひどく乾いたドライな感じです。
社会は変わらないという無力感。正義を守るという熱い心ではなくて、社会のクズどもを処理するというような感じ。感情ではなくて、反射で生きているような、そんな感じ。クズを処理するという合理性をつきつめた結果、みたいな行動にみえました。
「キチガイばっかりだ」というセリフからは、世界を諦め半分で眺める、冷めた目線が感じられます。この映画の世界観がこのセリフに凝縮されているように感じました。
セックス嫌いな若者たち
セックスを嫌悪すると答える人の割合が、特に若者の間で増えているらしい。
草食系という言葉のイメージとは裏腹に、性欲は相変わらずあるのだが、オナニーで十分でセックスに至らないという人が増えているみたい。
セックスするお金がない
コンドームをつけても、妊娠する可能性は0%にはならない。もし、妊娠した場合には出産・子育て、あるいは中絶に大きなコストがかかる。避妊のコストに加え、ホテル代を含めたデート代もかかる。セックスにはお金がかかるものだという認識が意外と忘れられている。
仕事で疲れ果てて、その気になれない。
本書で興味深い統計データがでている。週49時間以上の労働で、セックスレスのカップルの割合が増えるというもの。週休二日なら、一日だいたい2時間以上、月36時間以上の残業にあたる。多くの人が該当してしまう数字だと思う。
アダルトビデオの悪影響
昔に比べてネットが発達し、アダルトな情報に気軽にアクセスできる環境が出来上がった。その結果、実体験がないものの、頭でっかちに知識だけ大量に蓄えている人が増えているという。性に関して耳年増になり、セックスのことはひととおりわかったような気になるという。
ネットの情報は興味本位のものが多く、それを鵜呑みにした結果、セックスにうんざりし、汚らしい、気持ち悪いといったセックスを否定的にとらえる傾向が増えている。
また、セックスの教科書というものがないため、アダルトビデオを参考にするという人が多い。アダルトビデオは普通のセックスではない、あくまで娯楽としてとらえるべきであるし、彼らは一応プロである。アダルトビデオのように無理な体位を取らされたり、体を雑に扱われてセックスを嫌いになる女性もいる一方、アダルトビデオ通りにいかないと悩む男性を生んでいるという。
アダルトビデオの影響に関しては、僕も思うところがある。
人間の欲望は、欲望の対象との距離が遠いほど大きくなると、ボードリヤールは言っている。高級なクルマや時計などは、価格が高くて手に入りにくいがゆえに欲しいと思わせる効果があるという理論だ。アダルトな情報に関しても、アダルトな情報は秘匿され、手に入りにくかった時代から、見るだけなら簡単に手に入る時代になってしまったがゆえに、欲望の炎は小さくなったのだと思う。