シナリオ骨法十箇条
映画の脚本の作り方が載っている。
いざ、脚本を書くぞという段階になってつかうシナリオ骨法十箇条が以下だ。
「コロガリ」「カセ」「オタカラ」「カタキ」「サンボウ」
「ヤブレ」「オリン」「ヤマ」「オチ」「オダイモク」
脚本を作るのに利用するものなら、鑑賞でも使える。
見る専としては、よりよく映画を見るために利用させてもらおう。
最近、古い映画だけどトータル・リコールを見たので、それで考えてみたい。
あらすじはこちらを。
1.コロガリ
「転がり」である。
英語で言えばサスペンス。
コトバンクによれば、「ストーリーの展開において、この先どうなるのかという不安感・危機感を与えることで、観客の興味をつなごうとする技巧。」
出だしが肝心で、まず観客の心を掴まなければならない。
そして、なんの話か、ということを端的に示唆しなければならない。
不自然な展開やご都合主義による話の運び、あるいは脇の筋に深入りした場合は、「コロガリが悪い」と評される。
立て板に水のように本筋だけが先へ先へと進んでしまうのは「コロガリ過ぎる」とクサれることになる。
これは、映画の全体的なシーンのつなげ方を語ったものとなる。
2.カセ
「枷」
主人公に背負わされた運命、宿命、といったものである。
主人公が立っている立場。主人公はどういう状況にあるかというもの。
トータル・リコールでは、
なぜか毎晩火星の悪夢を見る主人公。
記憶を植え付けられていた自分、身に覚えのない格闘術。
記憶の植え付けをされる自分とは、一体何者なのか?
これが主人公のカセである。
3.オタカラ
「お宝」
主人公にとって、なにものにも代え難く守るべき物(または、獲得すべき物)であり、主人公に対抗する側はそうさせじとする、葛藤の具体的な核のことである。
サッカーのボールを思えばいい。これが絶えず取ったり奪われたりすることで、多彩に錯綜するドラマの核心が簡潔明快に観客に理解される。とりわけアクション・ドラマの場合には「オタカラ」は必須である。
トータル・リコールでは、
主人公の、ウソ偽りのない本当の自分。本当の自分の記憶。
自分は何者なのか。その真実。
また、主人公が思い出せない、火星の秘密の記憶も。
これがオタカラとなる。
4.カタキ
「敵」
敵役のこと。
前条の「オタカラ」を奪おうとする側の者である。
ただし、一目見てすぐ<悪>だとわかるような「カタキ」は、現代劇では浮いてしまうだろう。内面的なこと、トラウマや劣等感、ファザー・コンプレックスなど、内部から主人公の心を侵害するものでも「カタキ」になりえる。
トータル・リコールでは、
主人公に偽の記憶を植え付けた、コーヘイゲン側の人間ということでいいだろう。
ちなみにラストでは、主人公クエイドは実はコーヘイゲン側の組織の一員だったということが明らかになる。ひねりが効いていて面白い。
5.サンボウ
「三方」
絵本太功記の明智光秀が信長を裏切る場面に由来する。
正念場のこと。主人公が運命(宿命)に立ち向かう決意を示す地点。
これがないと、そこから先のドラマは視界ゼロの飛行になって、どこに着くやら観客には見当がつかなくなってしまう。
これにより、複雑多彩に膨れたドラマの中心部で、ドラマがどちらを目指しているのかを観客に気づかせることができる。
トータル・リコールでは、
主人公ダグラスの(植え付けられた記憶上の)妻ローリーを射殺するシーンがこれにあたる。
これは夢だという妻の言葉を撥ねつける。過去への決別。
取り返しのつかない行動ともいえる。
6.ヤブレ
「破」
乱調。
どんなスーパーマンでも、一度は失敗やら機器やら落ち目に出くわさないと、観客からみて存在感が希薄になる。
失意の主人公がボロボロになるシーン。
トータル・リコールでは、思いっきり負けるシーンというのはなかった気がする。
しいてあげるなら、ローリーに手錠をかけられるシーンかと。
7.オリン
「バイオリン」
感動的な場面。
感動の場面にはバイオリンを使用した音楽がつきものということに由来。
感動的な場面のことを「オリンをコスる」と呼ぶ。
トータル・リコールでは、感動する場面というのもなかった気がする。
これもしいてあげるなら、反乱分子ミュータント側が、搾取されていたことを示すシーンか。
8.ヤマ
「山場」
ヤマ場、見せ場をいう。
トータル・リコールでは、
50万年前にエイリアンが作ったリアクターの起動に向かってから、リクター、コーヘイゲンとの死闘、起動させるまで。でいいだろう。
9.オチ
「落ち」
締めくくり、ラストシーン。
メロドラマなら、観客の予測と期待通りに終わって満足。
ミステリーなら、観客の予測に反しながらも、期待を満たして終了。
トータル・リコールでは、
リアクターを起動。火星は酸素に包まれた。
これも夢かもしれないといいつつ、主人公はメリーナとキスをして終了。
10.オダイモク
「お題目」
テーマである。
映画自体が悪いのか、自分の見方が悪かったのか、テーマがよくわからない映画というのもよくあるけれども、これが分かるとスッキリする。
トータル・リコールでは、
主人公ダグラス・クエイドが自分の植え付けられた記憶に気づき、本当の自分ハウザーを探す。
しかし、物語の終盤になって、ハウザーは実はコーヘイゲン側の組織の一員だったと知り、ハウザーに戻るのを拒否。
コーヘイゲン側にはつかず、火星反乱組織のダグラス・クエイドとして行動することを決める。
この映画では、「行動が全てだ」というようなセリフがどこかにあった気がする。
どれが夢か、どれが現実か、なんて関係ない。
過去に自分がどんな人間であったかも、関係ない。
今、ここにいる自分の、行動こそが自分である。
トータル・リコールにおけるテーマというのは、これだと思う。
なんか、アドラー心理学的な結論だ。
こちらには、ハリウッド映画の鑑賞法が載っている。
15分ごとに見ると話の伏線が分かるという。時間で分ける概念は使いやすい。
しかしながら、その意味付けが漠然としすぎていて、使いづらい。
参考程度に載せる。
開始から~
10分: 主人公の満たされない状況・キッカケ
30分: 主人公をラストまで向かわせる動機づけ
45分: 状況の変化
60分: 転回点
75分: 引き返しのつかない行為
90分: クライマックスへの行動
ラスト
マンガは買わなくていい。
部屋にあった漫画を思い切って手放した。
残した物もあるが、圧倒的に量を少なくした。
捨てる時は「また読みたくなるかも・・・」という思いがよぎるが、その時はまた借りたり、立ち読みしたりすればいい。
どうしても取り戻したくなったら、また買ったっていい。
漫画はもう買わずに、レンタルでいいなって思い始めた。
「ゲオとかブックオフは自分の本棚だ!」と考えることにしたら気が楽になった。
(有料だけど、大した額じゃない)
部屋が整理されて、秩序が戻ったのを感じる。
整理整頓というと、収納スペースを確保することばかり考えてしまうが、まず捨てることが大事なのだ。
少女ファイトに描いてあったことは本当だった。
だから、少女ファイトは売らずに残している。
オトナ帝国の逆襲 の感想
今日は人と会う予定がないので久々に見ました。
正解でした。目がやばい。
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覚えてない人のための超あらすじ
オトナ達は「昭和のニオイ」によって、コドモの精神状態に戻ってしまった!
組織「イエスタデイ・ワンス・モア」のケンとチャコは、「昭和のニオイ」を全国に散布して、日本を懐かしの昭和時代に戻すつもりだ。
昭和ノスタルジーから我に返った野原一家は、計画実行を阻止できるか!?
昔はよかった
昔は良かったという気持ち。ノスタルジーってやつは本当に強烈だと思う。
20世紀からみた、夢の21世紀は希望に満ちていて、未来は明るくて、輝いていた。
経済は右肩上がりに成長して、国民全員で豊かになって、幸せがいつまでも続く、そんなふうに思えた。
ところが現実の21世紀はクソで。資源がない。人口は減る、経済はしぼんでいく。縮んでいくしかない未来。緩やかな衰退が目に見えている。
そういう時代に生きていると、昔は良かったという気持ちが強く実感できる。
親が子供を子供と認識しない悲しさ
上映当時に見た時、子供っぽい振る舞いをするオトナが恐ろしく見えたのを覚えている。
親に捨てられるというのが、子供にとっていかに恐ろしいかが感じられた。
ひろしの回想シーン
子供ひろしが親と釣りにいって、恋愛をして、失恋をして、高校をでて、上京して、新入社員として働いて、みさえと結婚して、しんのすけとひまわりが生まれて、ローンで家を買って・・・
クタクタになるまで働いて、帰ってきたら家族とビールが待っている・・・
なんとなくは分かります。感動もします。
でも僕はまだ若いんで、「家族を持つ幸せは最高だぜ!」と手放しに共感することはできません。
こんなにクタクタになる日々を過ごしてまで、維持したい家族というものは本当にそこまで素晴らしいものなのかと、疑問に思わないではいられないのです。
なぜ、ケンは野原一家にチャンスを与えたのか
オトナ達が全員「昭和のニオイ」で昭和ノスタルジーに洗脳される中、野原一家だけがひろしの足の臭いで我に返ります。
我に返った野原一家を、ケンが「話がある」といって自宅に誘い、「昭和のニオイ散布計画」をバラします。
当然、チャコがケンに対して、「(計画をバラすなんて)どういうつもりなの?」と問い詰めます。
それに対するケンの言葉は「最近、走ってないな」(家を出た野原一家を見ながら)
これ、ただのはぐらかしかと思ったんですけど、たぶん違うんですよ。
僕は、以下のように解釈したいと思います。
その時のケンの感情を例えるなら、
「アスファルトから植物の芽が出てたら、摘まずにそっとしてやりたい」
的な、罪悪感的な感情だと思います。
ここでいう罪悪感というのは、
自分があまり頑張ってない時に、他の人が頑張ってる時の、頑張っていない自分への罪悪感です。
「最近、走ってないな」というのは、頑張ってない、必死に行動をしていないというこの暗示です。
作中、ケンとチャコは汗をかかない。必死にならない。爆発的な情動を見せない。
クールなキャラとして描かれています。
思い出の20世紀に戻りたいという感情も、頑張っている感情ではないです。
現実の21世紀はクソだから、夢と希望に溢れていた願望の21世紀だけを夢見て、新しいことなんて何もかもやめて、昭和の時代をゆったりと生きようと。
そういう保守的な、あまり頑張ってないキャラなんです。
それに対する、野原一家のハッスルぶり、全力思想ぶり、爆発的情動、モーレツです。
もう、階段を最後まで昇るしんちゃんとか反則ですよ。あんなん泣くに決まってるじゃないですか。
「アスファルトから出た芽」ぐらいの存在だった野原一家は、ケンからチャンスをもらった。
野原一家は必死な姿を見せつけて、ノスタルジーに浸るオトナたちに
「自分は昭和のノスタルジーに浸っていていいんだろうか?頑張ることもせず、この安らかな世界に安住していいんだろうか?」
という罪悪感を呼び起こした。
その結果、「昭和のニオイ」のレベルは下がってしまった。
そういう理屈なんじゃないかと思いました。
ケンは「昭和のニオイ散布計画」を内心、悪いことだと思ってたとか、
未来を託してみたくなったとか、
未来の人類として妥当かどうかテストしたかったとか、
そういう大層な話じゃないように感じるんですよね。
そういえば以前、岡田斗司夫が「オリンピックを見て、なぜ人は感動するのか」という問いに対して
自分が頑張れなかったけど、その選手は頑張ってその舞台に立っている。
その姿に罪悪感を感じて感動するんだ。
と言っていました。
それに近いものかなと、今回思ったわけです。
しんのすけの「ずるいぞ!」の真意は?
計画が失敗に終わり、チャコとケンは心中しようとします。
そこにしんのすけが「ずるいぞ!」って叫ぶんです。
自殺する人にかける言葉として、意味が通じないはずなのに、その瞬間はなんとなくハッとする言葉に感じるんです。なんなんでしょう。
僕は、この感情の正体は、「俺と同じぐらいは頑張れ!」という「他人への頑張りの強要したさ」だと思ってます。
人間は自分が頑張っている状態にあるほど、他人に頑張りを強要したくなります。
残業自慢なんかまさにこれです。
「俺、今月80時間残業したよ~。お前40時間?大したことないね~。」みたいな。
言い方悪いですけど、
俺たちはこんなに頑張ってるのに、大して頑張りもせずに絶望してんじゃねえよ。
クールぶりやがって、もっと必死になってみろよ。
被害者づらして自殺なんかしてんじゃねえよ。
みたいな感情が誰しも根底にあるんじゃないかな、と思いました。
続・ガチャポンおじさん
最近、全然ブログ書いてない・・・。
今日はマンガを売りに行ったら、一冊5円、合計270円にしかなりませんでした。
270円で、ガチャポンを回しました。
見かけてつい回しちゃいました。夏服ですよ! 激カワですね。
大阪さんも欲しかったですが、ちよちゃんが出たのでよしとしましょう。
1回300円ですよ。ソシャゲのガチャより全然いいよ!
以前のサウスパークのガチャポンは、8回回して3種類しか当たりませんでした。
このように、
「ここまでお金をつぎ込んでしまったから、ここでやめるわけにはいかない・・・」
と考えて、さらにお金をつぎ込んで大損してしまう現象を、コンコルド効果といいます。
また一つ賢くなりましたね。
前回の反省を踏まえて、2回で打ち止めとしました。
ちよちゃんが出たから良しや・・・。
これからも稼いだお金をおもちゃにつぎ込んで、
「自分の人生に必要なものはこれなんだい!このために生きているんだい!」
と主張していきたいと思います。
そういえば、あずまんが大王って久々に目にしましたね。
思えば、ちよちゃんってキャラクターは、天才らしからぬ愛くるしさとコミュ力がありますよね。
天才を表現するのに、よく
天才 = 変人で冷静沈着でコミュ障
みたいな図式が使われるので、改めて考えるとめずらしいキャラな気がします。
あ、でも、ちよちゃんって天才って印象薄いですね。
印象づけるならやっぱり、「変人で冷静でコミュ障」 というキャラ付けは強いのかも。
検索用
カプセルラバーマスコット
オナニー後のティッシュをどうするか問題
タイトルの通りです。
オナニー後のティッシュ、どうしてますか?
自分の部屋のゴミ箱にそのまま放置すると、異臭がすごいですよね。
生物の分泌物なんですから、臭いのも当然です。
でも、部屋の快適性がそがれるし、オナニーが公然とバレるのは嫌です。
親にも、友達にも相談できないこの問題。みんなどのように対策してるんでしょうか。
突然、ふと思い立ちました。
相手に聞くより、まず自分から。
私のティッシュとの戦いの遍歴を紹介します。
自分がたどった方法は、以下の3つです。
・捨て紙方式
・トイレ水洗方式
・ビニ袋方式
順番に紹介します。
捨て紙方式
使い終わったいらない紙を常備しておき、ティッシュをその紙でくるんでから捨てる。
という方法。
当時、高校生だった僕は勉強する時、ルーズリーフを計算用紙やメモ紙として使っていました。そして、使い終わった紙をただ捨てずに机の端に放置しておき、ティッシュの処理用として使っていました。
勉強のストレスをオナニーで解消すると同時に、勉強によって出たゴミティッシュを、勉強によって出た捨て紙で処理する。
完璧な作戦だと、当時は思ってました。
この方法の元ネタは、4コママンガ「妹は思春期」です。何巻にのってたかは忘れました。
本自体も売ってしまったため、画像もないです。ごめんなさい。
ネタの内容は、
兄「オナニー後のティッシュを、いらない紙でくるむことで臭いを抑えることができ、これによって妹にもバレないのだ!」
兄「しかし、この方法を試してから、妹が勘違いして、スタミナ料理ばかり作るようになったため、この作戦は使わないことにした。」
というもの、草。
しかし、この方法には欠点があります。
単純に、臭いが完全に消せないんです。漏れるんです。
ということで、次の方法に行きました。
トイレ水洗方式
あらかじめ必要な分だけトイレットペーパーをもってくる。
あるいはトイレットペーパーを部屋に常備しておく。
オナニー後、ティッシュをトイレに流すことで証拠隠滅。
という方法。
ティッシュを外に捨ててしまうという悪魔的発想。
かなり良い方法だと思いますが、以下の部分がネックです。
・わざわざトイレにいくのが面倒くさい。
・ティッシュを持ってトイレに行く姿を家族に見られたらどうするか。
・捨てにいく時に、誰かがトイレを使ってる可能性があり、そこを考慮するのが面倒。
・オナニーのために、トイレからトイレットペーパーを持ってくるのが面倒
・部屋にトイレットペーパーがある不自然さ。
面倒、面倒のオンパレードですね。
オナニーは手軽さが売りなんです。セックスが高級料理だとしたら、オナニーはさっと食べれるファーストフードなんですよ。
そもそも、オナニーに計画性なんて持ち込んじゃだめなんですよ。
思い立った瞬間には行動は終了している。みたいなのが理想。
考慮するのはオカズだけ、それ以外のことは考えないようにしたいですね。
やはり、オナニーという超プライベートな行動については、すべてを自分の部屋の中で完結させたいです。
ビニ袋方式
部屋にビニール袋を常備。
オナニー後、ティッシュをビニール袋にいれて、口を縛ってゴミ箱へ。
という方法。
自分の現在の方式がこれです。
ビニール袋なので、臭いは完全にシャットアウトできます。
一番スマートな方法だと思います。
自分は古本屋に行くため、よくビニール袋をもらいます。
この空き袋を部屋に常備しておくだけです。
この用途以外にも、単純に袋が使いたい場面というのがよくあるため、言い訳もあるし、後ろめたさもない。精神衛生上も良い方法です。
ビニール袋の在庫が切れるとアウトですが、その状況になったことはないです。
在庫がきれそうな人は、こまめに買い物をして、日本経済に貢献するといいと思います。
匿名だからできるネタですね、これ。
健全な学生諸君にお役に立ちますように。
小林さんちのメイドラゴン第13話(最終回)感想
「トールっていい子じゃん!しかもさ、メイドなんだぞ!分かってんのか!?」
「私のメイドをもっていくな!」
この話、つまり、こういうことですよね。
「人はメイドに生まれるのではない。メイドになるのである」
漫画:エマ(うろ覚え)
1話のトールは、洗濯は口、料理は尻尾、洗濯物の乾燥の邪魔だからと雲を消し飛ばしたり、人間社会のルールも、メイドのなんたるかも分かってませんでした。
そこから12話かけて、家事を120%こなし、料理もコーヒーも、エルマや小林さんに褒められるレベルに。13話ではコーヒーを一回蒸らしてからドリップしてましたね。こまかいなぁ。
小林さんのメイドへの凝りっぷりはもはや言わずもがなですが、第12話でも語ってました。
「いい?メイドっていうのは単なるお手伝いさんじゃないの。本来はハウスメイドとか、ランドリーメイドとか役割が違って、なるのにだって訓練が必要で、そこらのメイドカフェとはわけが・・・」
とか語っちゃうぐらい、こだわりがある小林さんが認めたってことで。
トールはそれだけメイドになるために頑張ったってことなんでしょう。
トールはメイドに ”なった” んですね。
今回、13話ではトールがいなくなることで、精神的にも、物質的にも、家でのトールのかけがえのなさを小林さんは感じます。
この散らかった部屋とか、出来合いの弁当とビールとか、疲れきった小林さんとか、見てて悲しくなりました。
父子家庭って、マジきついですよね。
母親不在は、子供だってつらい。家に帰ったらひとりですもんね。
カンナちゃんが才川に甘えるところは、うるっときました。
んで、トールのお父さんがきて、ドラゴンの世界に戻ってきなさい、って言うんです。
寿命が違うとか、人間社会に干渉してはいけないとか、色々理屈つけてますけど、結局これもエマと同じ構図なんですよ。
エマっていうのは、上流階級の紳士であるウィリアム・ジョーンズ君が、下流階級のメイドのエマと恋に落ちちゃって、上流お父様に「ダメ!」って言われる話なんです。
つまり、ベースは
「上流種族ドラゴンは、劣等種族人間と好きあっちゃダメ!」
「劣等種族の人間社会で、生活するなんてもっての他!上流世界に帰ってきなさい!」
っていう話なんですよね。
そして、そこから先が違う。
エマのほうは、最終的には
「じゃあ、下流メイドであるエマが、上流紳士の奥さんにふさわしいように” なれば ” 文句ないよね」
って方向に進みます。下が上に合わせる方向。
小林さんちのメイドラゴンのほうは逆で、
「上流ドラゴントールが、劣等種人間にふさわしいように、人間社会のルールを学べばいいよね。」
って方向です。上が下に合わせるって方向。
劣等種といっても、その文化まで劣等ってものではないのには注意ですね。
むしろルールは、互いの利益のためには素晴らしい。(この辺は第7話感想を参照)
小林さんちのメイドラゴンには、異種間コミュニケーションってテーマがあると思ってますが、それを最終話でまとめた感があります。
トールパパの主張は、こう。
「ドラゴンと人間は違う種族だから、分かり合うことはできない。」
小林さんは、「それは短絡的だ」と主張した上で。
「違いを分かった上で、折り合いをつけていかないと、物事はすすまない。」
「トールは人間社会のルールを学び、人間社会で生活できるようになった。つまり、折り合いをつけた。そこまで娘はやってるんだから、あとは親であるアンタは、子供のことを信じてあげろよ。」
「身分差を乗り越えて結ばれるだけ」という構図から、一歩先をいった感じがします。
最後まで大人ですね、小林さん。ステキ。
あとは、本当に感想。
小林さんが、メガネ破壊されてからの言葉はいいですね。
トールがいない生活は、もう嫌だ っていうフラッシュバックからの、圧倒的力に立ち向かって、トール好き!っていう告白もいいし。
あのオクテな小林さんがここまでやってるんですよ!?素晴らしいですね、グッときます。
あとこれね!スカート穿いてて、塀を乗り越える時は両腕を支点にして、こうね!
わかってるよ!
言いたいことは、こんなところでした。
小林さんは、自分の中ではかなりヒットだったなぁ。面白いキャラでした。
アニメを1クール通して見るって久々でしたね。かなり楽しめました。
漫画のほう買ってみようかなぁ・・・。
・伏線コーナー
◯ナズナ
「あなたに私の全てをささげます。」
◯第12話に唐突に出てきた、メイドになりたい盗賊の女の子
「自由を手にしたら、メイドになるの!」
「私が選ぶの!自由に選ぶの!」とか言ってた子
自分の進路は自分で選ぶ。何かに強制されずに! っていう伏線でしょう。
そう考えないと、なんで挟んだのか分からないエピソードだなって、思います。