<非婚>のすすめ
結婚の機能
結婚の機能は次の3要素に分解される
- 性愛(セックス、性欲の解消)
- 相互依存(生活の効率化)
- 相互理解(相手のことを知りたい、自分のことを知ってほしいという感情の充足)
結婚とは、これらの機能を抱き合わせ販売した商品というふうに捉えることができる。
機能満載であるが、「お一人様一点限り、返品交換お断り」であり、高すぎる、重すぎる買い物ともいえる。
機能別に考えてみれば、性愛には性愛のベストパートナーがいる。相互依存には相互依存のベストパートナーがいる。相互理解には相互理解のベストパートナーがいる。
考えてみれば、結婚にこだわる必要はない。
生活の効率化(相互依存)なら、友達とルームシェアをしてもいい。
相互理解なら、趣味の合う友達や、異性の友達と時間をつくって遊べばいい。
性愛も、結婚というのが社会的なお墨付きを与えるだけで、婚外交渉でいい。なんなら、風俗という手段だってある。
結婚はしなければならないものではない。結婚というものにこだわらなくてもいいということだ。生活の質を高める方法は結婚だけではない。
恋愛は発明され、日本に輸入された。
恋愛の起源は12世紀のフランス。騎士が既婚で自分たちより身分がうえの貴婦人たちにかなえられることのない熱い想いを抱く。それをトルバドゥールと呼ばれる吟遊詩人たちが謳い上げたというのが恋愛の起源になっている。
つまり、起源は不倫だったのである。
「かなわぬ想い」というのは、どこの国でも人の心を打つもののようである。その後、恋愛は語り継がれ、美化されるうちに、文化として欧米で華開き、庶民レベルでは戦後に日本に輸入された。
元々、日本には恋愛という概念は存在せず、「色」という奥行きの深い概念が用いられていた。精神性を強調する恋愛に比べると、肉体と心が一体化した「色」は、はるかに無理や偽善が少なかった。
オンリーユー・フォーエバー症候群
オンリーユー・フォーエバー症候群とは、「一人の人を一生愛し続けることが最も尊い愛の形である」という固定観念のことである。
「健やかなるときも病めるときも、順境のときも逆境のときも、これを愛し、これを敬い、死が二人を別つまで固く貞節を守りますか」
という、キリスト教式の結婚式の愛の誓いの言葉によくあらわれている。
アメリカではこれをタテマエとしてとらえていたが、日本人はオンリーユー・フォーエバーが単なるタテマエであることに気づかず、その理念だけを受け入れてしまった。
この理念は流行歌にも見られるように、多くの人に浸透してしまっている。
そもそも、一人だけを愛し続けるという行動には無理がある。
食事に例えれば、毎日同じメニューを食べるのは嫌だ。和食も、洋食も、中華も、その日の気分によって選びたいというのがホンネだろう。
人間は飽きるようにできている。楽しいのは新しいこと、新鮮な気分をもっていいられる間だけで、同じことを繰り返すうちに飽きてくるのが当然である。どうも恋愛に限って、そういうことが思考の外に追いやられている気がする。
結婚式という名の最後の晩餐
結婚にかけるコストは、アメリカでは158万、イギリスでは151万。日本は464万。
日本人は結婚式、披露宴に金をかけすぎだ。
今の時代、子供は奢侈品(贅沢品)で、教育にかかるコストもすさまじい。大学を出るまで2000万と言われている。結婚の先にお金がかかる事態がたくさん待ち構えているのに、結婚式にそこまでお金を使う意味がどこにあるのだろう。
儀式として行うにしても、コスパが悪すぎると思う。